サッカーは創造力
サッカーをモチーフに。 サッカーをメタファーに。
システムとは何だったのか
YHEYです。

各地でW杯予選があったりユーロが始まったりしたので、サッカーのシステム論議があちこちで聞かれます。
岡田さんはオマーン戦のシステムについて4-4-2ではなく4-2-3-1だといったり、
オランダは伝統の4-3-3を捨てて4-2-3-1に変えたと報じられたり、
イタリアが4-3-3を採用してそれでオランダに負けたのは皮肉だといわれたり。

少し前に杉山茂樹さんの[4-2-3-1」という本を読みましたが、この影響なのか日本でもシステムを4段表記にすることが珍しくなくなりました。



では、システムとはいったい何なのでしょうか。
僕の考えを整理してみたいと思います。

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まず最初にいっておきたいのは、システムとはそれ自体が目的になるわけではなく、手段です。
システムありきではなく、まずはやりたいことや目的が根底にあって、それを具現化するためのシステムであるべきです。

ですので、オランダが4-3-3ではなく4-2-3-1にした、というのは額面どおりに受け取るのではなく、例えば僕はこのように理解します。

「サイドの攻防を制するのがオランダのやり方で、4-3-3の場合は確かにワイドにウイングがポジショニングできるのでサイドを制することはできるだろう。
しかし、4-「3」-3の真ん中の3は、広い中盤を3人でカバーしなくてはならないことを意味し、相手に対して中盤では分が悪くなる可能性がある。
サイドから攻めることの意味は、中盤からではさすがに崩せないので、だったらサイドから、という意味合いによるものだ。
このままでは相手にその中盤から容易に攻められてしまう。
特に、イタリアではピルロ、スペインではシャビ、ポルトガルではデコのように、必ず攻撃のときに経由する核となる選手が中盤の底に居座っている。
彼らを1対1で抑えきるのは容易ではない。
イタリアのトニのようにポストプレーがうまい選手がトップにいる場合は、そこに自由にボールを出させるわけにはいかない。
やはりピルロのようなボールの出し手になる選手は確実に押さえ込むべきだ。
だから、中盤はもう少し厚くしよう。
しかしサイドの攻撃はやはり重要なので、ピッチをワイドに使いつつも中盤を厚くできる4-2-3-1のシステムにしよう。」

このように、やりたいこと、なすべきこと、目的などが明確になって初めてシステムが決まります。

これが戦術(というものの一部)ではないでしょうか。

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サッカーには相手があり、試合というものはダイナミックなプロセスで成り立っています。
相手によって柔軟に、ダイナミックにポジショニングを変えるなどというのは現代のサッカーにおいては当たり前に行われていることです。

システムという目で見ればそんなものは試合中にころころ入れ替わっているのです。

ただ、いちいちやりたいことや目的などを表現するのは大変だから、4-4-2のようなシステム表記がされているのです。

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冒頭で紹介した書籍「4-2-3-1」ではそこら辺のシステム論議が実例も交えながら多く紹介されている良書です。
興味のある人はぜひご覧になってみてください。

ただ、残念だと思うのは、最後の最後まで「サッカーはシステムでするものだ」という論調であるということです。
これは表現の違いかもしれませんが、システムとは手段に過ぎないと僕は思っています。

会社に在庫管理システムがあっても、「仕事はシステムでするものだ」とは言わないですよね。
在庫管理をすること、もっといえば適正量の商品を販売することで営利を最大化することが目的であって、
システムはそれを具現化するための仕組みですよね。

サッカーも同じです。

3-5-2だから負けたとか、4-3-3は古いとか、そんな話しは馬鹿げています。
相手あっての戦術ですから、何がよくて何が悪いかなんて一元的な議論ではありません。

配置そのものには得手不得手があり、相性というものもあります。
その動きを動的に捉えて、俯瞰的な立ち位置から最適なポジショニングをし、数的有利を作り出す。

考えて走ることがいかに重要かが分かりますね。

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ユーロと寝不足は続く。
構造化戦術
YHEYです。

アウェーのオマーン戦。とりあえず最低の結果は出したといっていいのかな?

僕はプロセスをとても大事にする人間なので、まあそれは再現性を担保したいからという意図からきているのだけど、やはりこの試合はプロセスがイマイチでした。

酷暑とかピッチの状態とか体調とか外部要因もいろいろあったとは思うけど、単なる個人のブログだし厳しいこといってしまいます。

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岡田さんが「前半は真ん中から攻め急いでボールを失う場面があったから後半はサイドを使うように指示した」と言ってましたが、これを実現したいなら今のシステムじゃダメでしょう。

俊輔が中に入りすぎなんですわ。右に張り出す選手がいない。内田の負担が重すぎです。そんな中でも内田はよく走ってましたけど。特に最後オフサイドになったけど内田が相手GKと1対1になった場面、「なぜそこまで走れるんだー!!!」とちょっと感動しましたよ。

まあそれはさておきですね。

俊輔が中に入ったら大久保がサイドにまわるとかそういう基本的なルールがあればいいんですけどそういうのも見受けられないし。

僕もサイドから攻めるべきと思ってる人間ですので、岡田さんのコメント自体は賛成なんですけど実装がうまくいってないなー、と。

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そしてそれ以上に言いたいこと。

2007年のアジアカップで得た対アジアの戦い方はどこにいったんですか?

これですよ。いつも僕が言いたいことは。


僕はですね、攻撃の組み立ては途中までは完全に構造化していいと思っています。
だってそれでちゃんと崩せますから。
数的優位作れますから。

数的優位が作れるまでボール回していいと思ってます。
攻め急がないでいいと思ってます。

構造化プログラミングといっしょですわ。

if then
else

とか

while

とか。途中までは型にはめていいんですよ。

if 前で簡単にボールをもらえそうな味方がいる
then そいつにパスを出す
else 横にいる別の選手にパスを出す

それでアジアならチャンス作れるから。最後の仕上げはアートの部分だけど、途中まではまさに構造化プログラミングならぬ構造化戦術で全然OK。

個人技とか、ひらめきとかが大事じゃないと言っているわけじゃないです。
でもそれを頼りにするって、あまりに危うくないですか?
戦術として攻撃を担保せずに何を信じたらいいんですか?

僕がプロセスを大事にしてるっていうのもそういうことです。

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守破離の守を意識せずして次の段階には進めません。
JAZZの世界でも、immitation-simulation-innovationといわれます。
いきなりinnovationは起こせない。
まずは型を身につけることが何より大事です。

その上で個人としてどうするか、です。

オシムがエジプト戦から試そうとしていたのがまさにこのあたりでした。
型の習得はある程度アジアカップで証明されたから、個の力との融合を世界と戦うときには試していく。

今更ぶり返しても仕方ないですが、その後がすごい楽しみでした。

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今の日本代表は1年前から成長していないと思います。
下手すれば退化しています。

まだ3次予選で敗退は考えにくい状態ですが、最終予選までには1つの形を見たいものです。
先制点・勝利・盲目
YHEYです。

W杯3次予選のオマーン戦、内容・結果ともにとてもよかったですね。
よかったので、あんまりブログに書くことがなくなってしまいました。
やはり僕の場合は悪いことの方が文字に落とし込みやすいみたいです。

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ポイントは早い時間帯での先制点。これが全てだったように思います。

日本のボール・ポゼッションはかなり高く、試合をほぼ支配していました。
ただ、0-0であの試合運びだったとしたらきっとまた「得点が取れない」「攻めの形が作れない」などの論調が生まれたのは容易に想像できますね。

うーん。しかしここの考え方が難しいところです。
0-0と2-0で同じ戦い方をするかというとそうともいえない。
勝ってるときも「負けてると思って試合に臨め!」とかいう言葉を聞きますが、これは気持ちの面の話しであって、戦い方としては勝ってるときと負けてるときではまるで違うものになってしかるべきです。

先制点がもし前半のうちに取れなかったら。後半になっても0-0の状態が続いていたら。

また世論は厳しい言葉を浴びせたかもしれません。
プロセスとしての戦術は正しかったとしてもです。

しかし、結果としてオマーン戦は3-0で勝利した。得点へのプロセスも素晴らしかった。早い時間帯に先制できたので余裕のある試合運びができた。

こうなると粗探しをしない限りとりあえず今週のうちは否定的な批評をすることは難しい。
決定力不足、なんて一言でいえるような問題があったとしても、それが3-0の勝利によって解決することなどありえないのに。

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勝利はうれしくある。
だけどそれでうやむやになる問題もあるかもしれない。

結局僕が言っていることも粗探しに過ぎないのかな。

とりあえず3次予選で敗退するなんて微塵も思ってませんから。
長い目で見守れればいいかな、と。

今週は代表の素晴らしい勝利に酔いましょうかね。
アートに対抗するサイエンス
YHEYです。

ちょっと古いですがチャンピオンズ・リーグ07-08決勝のお話し。
ユナイテッドが結局勝利して、得点したのはC.ロナウド。
PKを外したとはいえ世間の報道は「存在感を示したC.ロナウド」のオンパレードだったような気がします。

得点は大事です。
そして勝者が称えられる世界であるのも事実。

でもあの試合内容でC.ロナウド絶賛ですか?と言いたいです。

得点シーンと、2回くらいエシアンを抜いたシーンくらいしか印象にありません。あくまで個人的な印象ですが、120分間でたったそれだけです。

僕からすれば右サイドのハーグリーブスの方がよほどがんばっていた。ブラウンと連携してチェルシーのマルダ&A.コールと一進一退の攻防を続けていました。

サイドの攻防は試合そのものの攻防でもあります。
C.ロナウドは前半こそ攻勢に出ていましたが、後半はまるで死に体。エシアンの攻め上がりを抑えるのに苦慮していて完全に後手に回っていました。

その背後に見えるのはグラント監督&テンカーテ参謀によるC.ロナウド対策です。

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前半はC.ロナウドをマークするためにエシアンを右サイドバックに置いていたようですが、エシアンを持ってしてもC.ロナウドのドリブルを止められないと判断すると、後半はエシアンをやや上がり目に配置させました。

攻撃は最大の防御。実質3バック気味にしてC.ロナウドを守備に忙殺させることで攻撃力を半減させる。これはテンカーテ得意の采配です。

案の定、守備では劣るC.ロナウドはエシアンを抑えきれずスコールズやキャリックがその尻拭いをする羽目に。そして全体のバランスが崩れ完全にチェルシーの時間帯が続きました。

流れからしてチェルシーに軍配があがるかと思いましたが、ユナイテッドの踏ん張りもあり結局試合はドロー。PKでユナイテッドにビッグ・イヤーがもたらされました。

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得点の最後の仕上げはアートの世界だと思います。どんなにいい形を作ってもそれが得点になるかどうかは分からない。技量だけでは語りきれない何かがその総仕上げには宿っていて、それを克服する完全な方法は存在しません。

だからこそC.ロナウドやメッシ、ドログバなどの選手が貴重であり、マーケットは彼らにとんでもない値付けをします。

ではこういった選手をそろえられない財政基盤の弱いクラブ、もしくはなかなかこういった選手が育たない国はどういう手段をとるべきか。

そのためにサイエンスが存在するのだと思います。

サイエンスはいわば常道のようなもので、サイドを制する戦い方などはまさにそれにあたります。

チェルシーは前後半で選手交代をしなかったのに、エシアンのポジショニングを少し変えるだけで試合の全景を変化させました。

相手の状況にあわせた攻略は必ず存在するはずで、それを11名の選手で使い分ける。まさにポリバレントが求められる理由がこれに当たると思いますし、当然日本も参考にできる話しです。

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グラントはクラブを去るようですがテンカーテはおそらくチェルシーに残るでしょう。
監督が誰になってもおそらくチェルシーの戦い方は変わらないはず。

来期も楽しみです。
数的優位を作り出せるかどうかのスポーツ
YHEYです。

そろそろキリンカップ、ワールドカップ3次予選と連戦が始まろうとしていますね。
ちょっと僕の思うところやブラブラ歩きながら考えていたことを書き連ねてみたいと思います。

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やっぱりサッカーは数的優位をいかに作り出すかに腐心すべきだと考えます。
ただ、当然11人対11人でピッチ全体としては同じ人数がそろっているので、局面として数的優位を作り出すということです。

ところが通常は相手が2トップなら最低3人のディフェンダー、1トップなら2人のディフェンダーが構えているでしょうから、そう簡単に数的優位は作り出せません。

ではどうやって数的優位を作り出すのか。

これが戦術にあたる部分なのでしょう。

僕は、個々のプレーとしては
・ダイレクト
・ドリブル
・ポストプレー
数的優位を作り出しやすいプレーだと思っていますが、所詮これらは個々のプレーです。C.ロナウドやロッベンがチームにいればそれは容易に数的優位を作り出せるに違いありません。

しかし日本にはこのような選手は今のところ存在しない。
未来永劫出てこないかもしれない。

そんな日本が世界を驚かせるサッカーをするにはどうしたらいいのか。

監督の仕事というものがとても大きなものになるのは容易に想像できますよね。

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たとえばレストランの仕事で、ホールと厨房というものがありますよね。
経験ある人もいると思いますが、ホールがすごい忙しくて厨房は暇そうな時間とか、その逆とか、たまにそういうタイミングがなかったでしょうか。
そういうときは、「おいおい厨房の連中ボサっとしてないでホール手伝ってくれよ」とか思ってしまいますよね。

日本のサッカーは長らくこの状態でした。

何が言いたいかというと、たとえば相手が1トップなのに3バックで守る。ディフェンダーは「自分の持ち場はここだ」とばかりに人数が余っていても流動的に動かない。

相手1人に対してこちらは3人で守っているのだから、当然前線では逆のことが起きてこちらが数的不利になることは目に見えています。

数的優位は試合のダイナミズムの中で自ら作り出すものです。
相手が1トップならディフェンダーはどんどん攻めあがるべきです。

ここにメスを入れたのがオシムでした。
彼の言葉でいえばポリバレントということなのでしょうが、それは単に複数のポジションがこなせるという意味にとどまりません。
局面に応じてダイナミックにその役割を変化させ、それに適応できるという意味だと僕は思っています。

阿部や今野をセンターバックに使っていたのもそれゆえです。
彼らなら中盤も器用にこなすので人数が余ればどんどん前に出て行きなさい、ということですね。

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攻撃においては、やはりサイドが基点になるのが現代サッカーの流れですね。
理由は単純で、真ん中から攻められるほど相手も甘くないからです。

真ん中は360度ケアしなければならないのに対し、サイドは180度だけケアすればよいので、縦への推進力が生まれやすいという点もサイドの利点です。180度というのは人間がギリギリ一目で俯瞰できる範囲ですよね。目の前の相手だけケアすればあらぬ方向から相手が来るということはないわけです。

で、また単純な話しとなりますが、このサイドで数的優位を作り出せるか。
これが試合の肝となります。
サイドが基点になるのだからそのサイドで数的優位を作る。ホントに単純な図式です。

どんなにチャンスが生まれてもそれを決めることができるかはアートの世界です。
このアートの力を高めることも大切ですが、チャンスの数を増やすというアプローチのほうが現実的でしょう。

いかにサイドで数的優位を作り出してチャンスを演出するか。
この攻防で後手に回るか先手を取るかがいわゆる「攻撃的」か「守備的」かの分かれ目です。

オシムはガーナ戦で相手の4バックに対して日本ではあまり馴染みのない3トップで対抗しました。理由は相手のサイドバックの攻め上がりを抑えるため。サイドで先手を取り、試合の主導権を握ろうとしたのです。試合こそ0-1で敗れましたが、地力では日本をはるかに勝るガーナに善戦できたのは監督の采配によるところが大きいと思っています。

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システムそのものはやりたいことを実現するための方便でしかありません。
その試合で何がやりたいのか。
これを追求しデザインすることが戦術の最初のアプローチではないでしょうか。

つまるところ、もっとも大事なのは「何をやりたいか」であり、キャリアの考え方とまったく同じですね。

「何をやりたいか」まったく意図が見えない試合は見ていておもしろくないですし、キャリアのロードマップもやりたいことを見つけてこそ、ですね。後者の方はあせることはないんですけどね。

意思や意図が介在してこそ魅力あるものとなる。
これは万事に共通するからこそ、メタファーが大切になるのですね。
評価の難しさ
柔道の全日本選手権、井上康生は残念でしたね。
最後は得意の内股をすかされての負けですから本人も少しは納得できたのかもしれません。

邪推ですが、井上康生が優勝しなくてホッとしているのは全日本柔道連盟かもしれません。
もし今回井上康生が優勝していたら、それこそ100キロ超級の北京五輪代表選考は混迷を極めたと思われます。
全日本で勝った井上康生なのか、それとも今期世界で実績を出している棟田や石井なのか。
協会が信念をもってどちらかにしても決めたとしても、マスコミや世論はおそらくどちらが代表になってもある程度は騒ぐことになったでしょう。

そう考えると、すでにある程度の実績がある石井が優勝したので代表は石井、という構図はとても分かりやすいです。

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柔道に限らず代表の選考を見ていると、人が人を評価するということの難しさがそこに凝縮しているように思えます。

アメリカの陸上選手の選考の中には、1発勝負でそこで優勝すれば代表という至極単純なものが採用されています。
分かりやすさでいえばこれ以上のものはないですが、果たしてそこで優勝した選手が本当の意味で(本当とは何なのかという疑問もありますが)強いのかという議論はあると思います。

では、過去の実績を考慮して選考というものが納得的になるかといえば、おそらくそうではないケースが生まれてしまうでしょう。

プロセス重視か結果重視か。その比重のかけかた。主観と客観のせめぎあい。
評価をしようとして頭が痛くなる管理職の悩みも分かる気がしてきます。

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では納得的な評価というものは存在し得ないのか。
決してそんなことはないと僕は思います。

ここに対する今の解のようなものは、やはりCriteria(基準)を明確化することなんだろうなと思っています。
分かりやすいものでいえば、たとえばマラソンの五輪選考で「世界陸上でメダルを獲って日本人最高」とかありますよね。あれです。
これは順位がつくスポーツであるため基準が作りやすい例ですが、ビジネスの世界の評価でもある程度の基準というかレベル感はきっと作成できるはずです。
その基準をもとにサイクルをまわして目線あわせして、基準もブラッシュアップしていく。
基準作りの難しさ、選考人数や資源の制約など問題はそれでも山積みですが、やはりこのやり方は僕の志向にあっている気もしますし、納得感もある気がします。

納得感や客観性、このあたりを大事にしていきたいものです。
全てを捨て去り、そして何も得られなかった
YHEYです。

気分が落ち込んでいます。
日本サッカーは昨日のバーレーン戦で確実に後退しました。

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システム変更とかそういった話しではありません。
システムはチームとして目指すべき方向を具現化するための手段でしかありませんから。

2007年のアジアカップで蓄積した対アジアの戦い方はどこにいったのでしょうか。
ボールポゼッションを高め、相手を必要以上に走らせ、数的優位を作り出して攻めに転じる。
ボスニア戦やタイ戦を観る限りでは岡田さんが監督になってもこのスタイルは踏襲かと思っていましたが、どうやら違ったようです。

ロングボールの多用、攻め急ぎ、ちぐはぐな連携、そして簡単にボールを失う。
観ていて情けなくなりました。

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失点は僕は川口のミスもあると思いますが、ある1つのミスに失点の責を押し付けることは反省の放棄につながります。
対アジアの戦い方を遂行しなかったことのしっぺ返しの集約があの失点です。

この敗戦を十分に振り返り、2007年のアジアカップでの戦い方に戻すべきだと僕は強く思います。
優勝こそできませんでしたが、日本のサッカーは他のどの国よりも優れていました。
優れているということは負けないということと同義ではありませんが、ワールドカップ予選という長いスパンで考えたとき、もっとも確からしい結果を出すことができるのがあの戦い方だと信じています。

そしてそれこそが日本化へのロードマップそのものだったのではないでしょうか。
日本の戦略の優位性
YHEYです。

チリ戦、ボスニア戦、タイ戦と全て現地観戦してきました。
分かってて観に行ってるのですが、やはり冬の観戦は寒いです。凍えます。感覚が麻痺してきます。

特にタイ戦は雪の中の試合で身にしみる寒さでした。
でも、そんな寒さの中でも観る価値のあった試合ができていたと僕は評価しています。

20080206Thailand.jpg


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タイ戦は、アジアカップで見せたようなアジアの国と優位に戦いを進める試合運びができていて見ていて安心しました。

ポイントは3つあります
・攻め急がない
・サイドバックを含めた横へのボール回し
・90分間を通して最高のパフォーマンスを発揮する

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1つ目のポイント。攻め急がない。
チリ戦もボスニア戦も、どうも縦に攻め急いでいる印象がありました。
サイドバックが前線へロングボールを送るシーンが多く、オシムサッカーとは異なるなと感じたことを覚えています。

もちろんスペースがあれば攻めていいのですが、スペースを常に使うサッカーを90分間続けるのは体力や集中力が持ちません。

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2つ目のポイント。サイドバックを含めた横へのボール回し。
攻め急がないということは、マイボールのときにはボールを回す時間が長くなります。
しかし意図のないボール回しは避けるべきで、ここで何を狙うのか。
その共通意識が大切になります。

狙うべきは、まずはもちろん得点。
ボールを回してスペースができたらそこを狙うのは常道ですね。

そして次は、相手を疲れさせイライラさせること。
アジアカップでのUAEや韓国も相手が退場しましたが、タイ戦も1人退場しています。
これは決して偶然ではなく、日本の戦い方がアジアの他国より優れていることの証明だと思います。

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3つ目のポイント。90分間を通して最高のパフォーマンスを発揮する。
攻め急がない、そしてパス回しを通じて相手を疲れさせ、自分たちのペースを維持する。
この結果何が生まれるか。
それが90分間を通しての高いパフォーマンスの維持です。

タイ戦でも70分以降明らかにタイの選手の足が止まっています。
ボスニア戦でもそうでしたが、試合終盤に得点が多く入っていることも決して偶然ではありません。日本の戦略の優位性の表れです。

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この戦い方は一見積極性がないように見えます。
現地で観戦していると他のサポーターの方がイライラしているのもよく見かけます。

しかし、僕はこの戦い方こそが日本が目指すべき姿なんだと思います。
もちろんシュートを撃ってほしい場面もあったりはしますが、アジアの国と戦いつつ、競合国に伍することができる日本化の姿が見えてきている気がします。
現時点では後退と言わざるを得ない
YHEYです。

日本代表の2008初陣を現地観戦してきました。

200801261930000.jpg


今日は観戦しながら感じた次の2点について記載したいと思います。
オシム体制との違い
・現時点では後退と言わざるを得ない

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まずはオシム体制との違いについてです。

試合開始早々ダイレクトパスを数本つなぎ最後は巻がペナルティエリア内で倒されたシーン(ノーファウル)がありました。
これを観たときは、オシムのときと似ている、という印象を抱きました。
動きながらスペースを作り出し、相手を揺さぶって最後はフリーの選手にシュートを撃たせるのはまさにオシム好みの展開です。

ところが結局このプレーがこの試合最大の見せ場だったと僕は思っています。

これ以降、攻撃の仕方がガラリと変わります。

パス交換というよりは、速い攻撃を目指している、僕にはそう見えました。

僕が感じたオシムとの違いは以下の点です。

[オシム]
とにかく相手(観客?)がイライラするほどボールを回し続ける。リスクを安易に取るのではなく、ダイレクト・プレーと走ることを通じて常に得点の可能性が高い選択をし続ける。サイドバックが高い位置でボール回しに参加するので、一見するとサイドバックに積極性が見られない。

[岡田]
ボールを奪ったら速く攻める。ロングボールを使用することもいとわない。速く攻めるのでサイドバックが攻めあがる時間がなく、一見すると上がりが遅いように見える。


これはどちらがいいというわけでなくスタイルの違いです。
オシムのやり方は非常に数学的ではありますが、プラスアルファの融合に苦慮していました。
岡田流は攻撃のチャンスは増えるかもしれませんが撃ち合いになるリスクも孕みます。

一長一短があるのは当然で、だからこそ試合中に柔軟に自律的な展開を目指す必要があるのだと僕は思っています。

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岡田体制の1戦目を生で観戦した率直な印象は「現時点では後退と言わざるを得ない」です。

後退したと感じる理由は、監督の理念と個々のプレーに結びつきが感じられなかったからです。

僕はオシムのサッカーを非常に支持していたので、岡田サッカーがまずい方向に向かおうとしたら文句の1つや2つを言いたくなるのだと思います。
ところが1戦目ではそもそも方向性もまだ見えない、といったところで文句とかそういった次元に到達していません。

もちろん、1戦目からそこまで求めるのは無理だと思っていますし、オシム体制の第1戦のトリニダード・トバゴ戦でも「無理にダイレクトを使おうとしている」など成熟していない印象は受けました。「やりたいサッカーが見えない」といった点ではそのときの印象と似ているかもしれません。


そもそも1つ1つのプレーは、戦略と戦術があって生まれるものだと以前にブログに書きました。

しかしもっといえば、戦略の前提に理念やコンセプトというものが存在します。理念・コンセプトはサッカー界として掲げる場合は日本サッカー協会が提示するものですが、日本代表のサッカーが目指す方向性であれば監督が掲げるべきものです。

「接近・展開・連続」
各種メディアに踊っているこの文句が大前提としての理念・コンセプトだと僕は理解しています。

特にこの中で、接近や連続に関しては少なくとも第1戦ではほとんど垣間見ることができませんでした。

監督の考えと実際のプレーがリンクされていない。
そういう意味での後退、です。

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ただ、特に悲観しているわけではないです。まだ1戦ですから。

贔屓目に見てもタイには勝てるでしょうから、極端な話しを言ってしまえば2月6日までには「ある程度」のところまでも仕上げなくてもよいのかもしれません。その後に東アジア選手権がありますし、5月にはキリンカップもありますからそこら辺までに一定のレベルまで持っていければいいと思っています。

これからどんなサッカーを展開してくれるのか楽しみにしています。
オシムがもたらしたもの
YHEYです。

サッカー日本代表の監督は正式に岡田さんに決定したようですね。岡田さんへの賛否はあるでしょうけれど、今日はそこには触れず、オシムが1年半日本代表監督を務めたことで日本にもたらしたものについて考えてみたいと思います。

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オシム前とオシム後で何が変わったか。

それは、サッカーに経営者としての視点をもたらしたことだと思います。もっと単純に言えば、サイエンスがもたらされたということです。

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トルシエは、守備には彼なりのサイエンスとしていわゆるフラット・スリーと呼ばれている戦術を掲げ、守備の面で日本は大きな成長を遂げました(フラット・スリーが成功したかどうかは別にして)。

ただし彼は人格面で難があり、そのサイエンスをうまく周囲に伝えることができなかった。

また、攻撃においては中田英寿の個性に任されていた部分が非常に大きく、納得性のある戦術説明は1回も聞いたことがありません。

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ジーコは、僕の中ではあまりいい監督としての印象はありません。

ジーコといえば「自由」というキーワードがよく聞かれますが、何かベースがあってその上に自由というものがあるはずで、自由ありきではチームとしての骨組みがないのも同然です。

ジーコのチームには立ち返るべき土台がなく、またチームとしての輪も醸成できずに4年間を過ごしてしまった感があります。

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オシムは、経営者として日本サッカーに改革をもたらしてくれました。

サッカーの戦術よりも高次の視点として「日本サッカーの日本化」をまず理念としてあげ、それに向けて人もボールもよく動くサッカーを標榜しました。このトップダウン・アプローチはまさに経営者の手法そのもので、単純なことではありますがサッカー界ではなかなか実現されなかったことです。ホントは日本サッカー協会がもっとリーダーシップを取ってこういうことをやらなければいけないのでしょうが。

(クラブとして「地域に密着したクラブ作り」などを理念として掲げているチームはあるが、サッカーに結びつくように考えていない点でオシムと異なる。また、甲府はワンタッチパスをつなぐパスアンドゴーの美しいサッカーを理念としてファンを魅了しているが、勝てなければ仕方ない。)

サッカーはダイナミックなプロセスから成り立っているものであることを常に周りに語りかけ、静的なポイントでしか捉えない見方に対しては厳しい反駁で周囲を教育していた点も今までの日本には存在しなかった監督だと思います。

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ミンツバーグは、経営は「サイエンス(分析)」「クラフト(経験)」「アート(直感)」と言っています。この3つの調和が大事なのだと。

どうやったら日本が勝てるようになるかをサイエンスの視点で考え、そのベースは出来上がりつつあることをアジアカップで証明してくれたので、次はアートとの融合(よく言われている個の力の部分と戦術の融合)だと思っていた矢先の病、勝手なことをいうようですがファンとしては非常に残念です。

もっとオシムのサッカーを見ていたかった。オシムサッカーの完成形(そんなものは存在しないが)を見てみたかった。

ただ、それはもう適わないこととなってしまいました。


岡田さんには岡田さんのサッカーがあるでしょうから、それを愚直に追求してもらいたいですね。