サッカーは創造力
サッカーをモチーフに。 サッカーをメタファーに。
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寺田、高木は不合格
YHEYです。

シリア戦、ジムでバイクこぎながらテレビ観戦しました。
バイクこぐこと2時間10分。さすがに疲れましたー。

さてさて、この試合はガス抜きみたいなものですね。
連携もクソもあったものじゃないです。

でもやる意味がなかったかというとそうでもなくて、代表戦はベストメンバーがそろわなくても実施しとかないと体裁的にも心理的にもよくないことがありそうな気がするので。やってよかったと思います。

幽☆遊☆白書で幽助が死んでるとき、諸事情あって1日だけ生き返ることができる云々の話しで、「死体がウォークマンで霊体が電池みたいなもんか」って言ってたけどそれと同じ。
たまには再生しとかないとダメになっちまうんです、こういう類のものは。

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寺田や高木が試されてたけど、僕的には不合格。
実力がないわけじゃないんだけど、如何せん連携が悪すぎる。

どこのチームのサッカーでも守備はゾーンで守ってるからマークの受け渡しが大切になるんだけど、そのタイミングがなってなさすぎる。カバーリングも遅いしなー。

使い続ければそのうちよくなるんでしょうが、特に寺田は年齢的にも育てるって感じじゃないし、高木も光るもんがあるわけじゃないと思ってます、僕わ。フィードもよくないしね。

ってことで、結局カタール戦は阿部がセンターバックやることになるんじゃかろうか。
カタール相手ならアジアカップでオシムに怒られた件の借りを返すチャンスだしね。
がんばれ阿部。

ディフェンダーはたとえば高校選手権とかでは光る選手発見できるんですけどね。
東福岡の金子とか、市船の羽田とか、市船の中澤聡太とか。中澤はガンバでレギュラーはってますけど。

世界を見てもグッドなセンターバックってのは少ないですけど、日本でももうちょっと育ってほしいですね。
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クロニクルから未来へ
YHEYです。

今日は読んだ本の感想。西部謙司さんの「サッカー戦術クロニクル」。



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この本はタイトルにあるように「クロニクル」そのもの、つまりは歴史解説書です。
オランダ、ミラン、バルサなど過去のセンセーショナルなチーム戦術を余すところなく紹介しています。

僕は、この手の本はケーススタディや事例集として扱うのが正しい読み方だと思っています。

歴史、もっといえば情報そのものはそれだけでは租借することが難しいので、通常はその事例を標準化したり理論・持論に落とし込んで理解します。

しかし「サッカー戦術クロニクル」にはその手の解説はあまりありません。

ですので、戦術に関する理論・持論が実際の現場でどのように展開されているのかの確認のために使うのがよいと思います。ここまで戦術の歴史について詳細に紹介している書籍はないと思いますので、さまざまなケースに適合しうるはずです。

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過去の分析というものは未来につなげるために存在します。

試合に臨むときは戦略を戦術に落とし込むのが正しいアプローチだと思います。
その逆に、過去の戦術は標準化すれば戦略に昇華され、未来につなげることができます。

そんな標準化まで志した本に出会いたいものです。
小論文のメタファー
YHEYです。

最近仕事で小論文の自動採点という分野を調べています。日本では大学入試センターのJESSというシステムが一般公開されていて、インターネット上で自分の小論文を自動採点させることができます。

JESSの採点の基準は以下の3つです。
①修辞
②論理構成
③内容妥当性

①修辞とは、文章の読みやすさや美しさのことです。
例えば1文の文字数やカナ/漢字の比率、受動態が多すぎないかなどを見ています。これが全体の得点の5割です。

②論理構成とは、その名の通り文章全体の論理構成で、日本語の場合は接続詞や指示語、また文末モダリティと呼ばれる文章の終わり方とそれに続く文との関連などで全体の論理構成を見ています。
ただ、文章の構成は起承転結にしようが結論を先に述べようが、絶対的な正解は存在しません。
そこが論理を自動採点する難しさで、結局は変な構成になっていないか、というネガティブチェックになっています。
これが全体の得点の2割です。

③内容妥当性は、設問の趣旨に沿った回答を作成しているかどうかです。
これは近しい単語が使用されているかどうかをチェックするもので、例えば結婚式のことを聞かれているのに結婚/披露宴/夫婦/新婚旅行などのワードが1つも出てこないのはおかしいだろうという判断です。
これが得点の3割です。

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と、長々と書きましたが、ここまでが前段。本題はなるべく短く・・・したいですね、いつものことながら。

③内容妥当性は、「え、そんなことしか見てないの?」という気になるかもしれませんが、それしか見ていないのです。
というより、現時点の自動採点の限界が見え隠れしていると言った方がいいかもしれません。

なぜもっと詳細な内容の妥当性を確認できないかというと、単語や助詞、助動詞、形容詞などとの関連を意味づけするのが非常に難しいからです。
これを係り受けと呼びますが、例えば「おいしい」と「おいしくない」では意味が正反対になります。
「PCの動作音が大きい」といえばマイナスの印象ですが、「PCのメモリーが大きい」といえばプラスの印象です。
このように、言語は些細な語の関連付けで意味づけがなされており、それを文章全体として捉えて判断するのは至難の業です。

また、1文を最適化するLocal Optimizationの積み重ねが、小論文としてのGlobal Optimizationにならないのも興味深い点です。

これは万物のメタファーとなりうる話しですね。

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ここまで書いてようやくサッカーの話しにもってくることができます。長かった・・。

これまでのブログでも何度も書いている内容ですが、サッカーはロナウジーニョが11人いても勝てないと思っています。
個別最適が全体最適につながるわけではない。
小論文と同じです。

小論文であれば、個別最適と全体最適をつなぐために接続詞や文末モダリティ、指示語の使い方、論理構成などが重要となります。
これは、小論文は静的なものなので、個と個をつなぐハブの存在が大切だということを示唆しています。

サッカーにおいては動的平衡やポリバレントといった言葉がキーワードになります。
単純なハブとなるもの以上に重要となるものがある理由は、サッカーは小論文とは違って動的なものなので「個であり全体である」という概念が存在するからです。

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僕が初めて個別と全体の関係を意識したのは大学1年生の経済学の講義でミクロ経済とマクロ経済の合成の誤謬を学んだときです。
それ以来、両者の関係を考えるのは僕の中の1つのテーマのようなものにもなっている気がします。

日本語による文章でも同じ世界が待っているとはなかなか興味深いです。
つながる、というのはいつのときも楽しいものです。
変化への適応力
YHEYです。

ウズベキスタン戦を現地観戦してきました。公式戦は久々で、やっぱり気持ちが高まるものがありました。

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結果はやや残念。悲観する必要はないと思うんですけどね。だけど勝ってくれないと埼玉スタジアムからの帰り道が気分重くて。混雑緩和のためのこんな報告書もあるみたいですけど。早く具体化を!

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さて、試合内容ですが、詳しくは他の方のブログにお任せするとして。
現地観戦して僕が感じたのは1つ。

変化への適応力。

これをテーマに書きなぐってみたいと思います。

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変化への適応力といえば、ボストン大学マネジメントスクール教授のダグラス・ホールがメタ・コンピテンシーとして挙げているものです。

ダグラス・ホールはコンピテンシーを1次元で捉えるのではなく、コンピテンシーを開発するためのコンピテンシーがあると提唱しています。その親コンピテンシーともいえるものをメタ・コンピテンシーと呼び、メタ・コンピテンシーには「変化への適応力(Adaptability)」と「自己への気付き(Self-Awareness)」があるとしました。

変化への適応力はそれだけ大事な要素だということですね。

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僕は構造やパターンの重要性を常々唱えているわけですが、それは万人に通用する科学というものがそこに存在するからです。

だけど現場は常に個別具体的。

理論というものは、本来は状況に埋め込まれたものであるものが徐々に鈍化、抽象化されてきたものなので、もう1度実践の場に戻すときには状況判断力や自己判断力といった類のものが必要になるということです。

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何を言っているかというとですね。
ウズベキスタン戦での日本の戦い方は、確かにパスをつなげる日本らしさ、オシム流にいえば日本化がされているサッカーができていました。

だけど、試合を上から俯瞰的に見ていると、ウズベキスタンは後半の途中まではラインを高い位置に保って中盤はフラットに壁を敷く体制。要は中盤はコンパクトにして日本のパス回しにプレッシャーをかけようとするものでした。ウズベキスタンのプレッシャーは結構効いていて、日本は思うようにパスが回せない時間帯もあったように思います。

そんな中、中盤を5人、もしくは内田もパス回しによく参加するので6人も使うよりは、2トップにして裏を狙うことも必要だったんじゃないかと。玉田はパスを引き出すために下りてくることが多いので、佐藤寿人(ベンチ入りしていたのか知らないんですけど)とか興梠を使うというのもおもしろかったかと思います。

3次予選でバーレーン相手に裏に放り込むサッカーをして負けたことがあるので、裏狙いに消極的になってた、というのもあるかもしれないんですけどね。

つまり、変化への適応力。構造を保つより、チームとして状況に対応することが監督含めて必要なことだったともいえるかな、と。

でもそんなことして負けたらそれこそ世論が大火事になってたかもしれないし。何ともいえませんね。あはは。

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何はともあれ、2戦終わって勝ち点4は悲観することはないと思います。アジアはグループ2も含めてオーストラリアしか全勝しているチームはないわけですし。

日本らしいサッカーができていただけでもよしとしましょうか。目先の勝利よりシステムとしての構造化と日本化を。

余裕かましすぎですかね?
誤りの次元
YHEYです。

最近仕事で交流のある都内某大学の准教授の先生がこんなことをおっしゃっていました。

戦略としての方向性が正しい上での戦術ミスはまだ許せるけど、戦略としての方向性が間違った上で戦術が成功してしまうと深みにはまる。」

僕の理解だと、

戦略 → 大きな枠組みの中での方向性を決めるもの
戦術 → 戦略を受けて、比較的小さい単位や短いスパンでの方向性や実施すべきことがらを決めるもの

という関係性で、そこから個々の作業単位にブレークダウンされるので、そもそもの戦略が誤っているというのが1番痛手ということですね。まったくその通りだと思いました。

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打って変わって高円宮杯決勝のお話し。興奮したんですよ、僕。

浦和ユースの強さが目立つ結果(9対1で名古屋ユースに勝利して優勝)でしたが、僕は浦和ファンでも名古屋ファンでもないのでどちらが勝ったかはある意味どうでもよく。

興奮したのは、日本代表が目指すサッカーをユース世代が体現していたから。

一昔前までのユース世代といえば、小倉とか城とか北嶋とか平瀬とか柳沢とかの絶対的エースがいればある程度勝てるようなレベル感。まあ、それは言い過ぎとしても、チームとしての成熟は、東福岡のような例外を除けば決して高いとはいえないチームが上位に食い込んだりしていました。

ところが野洲高校が高校選手権を制してから風向きが変わり始める。

最近の全国上位の常連高はテクニックがあることが当たり前。しかも、全員うまい。エースと呼べる選手がいることには変わりないけれど、それ以外の選手も全員うまい。ホントに。

その上で、前線からの積極的プレスやサイドを基点にした攻撃、惜しみないハードワークなど、世界の潮流となりつつあるサッカーを18歳以下の彼らが体現しているのです。

これはホントに素晴らしいこと。

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正直言って、僕は国見が好きじゃないんです。
だって、いつまでたっても前近代的なサッカーをしているから。絶対的な走力と体力は褒められるにしても、やっていることは身体能力を活かした放り込みサッカー。

そんな高校が黄金期を築いている高校サッカー界には楽観できていませんでした。数年前までは。

しかしここ数年、急激に風向きが変わってきました。野洲、流通経済大柏、浦和ユースやFC東京ユース、他にも作陽や八千代などが見せるサッカーは構造としては世界に出してもまったく恥ずかしくない。そういった高校が全国上位に出てきているのですから、これはうれしいことでしょう。

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国見のサッカーの構造が戦略ミスといったら怒られると思いますけど、あのサッカーで勝つのはまさに「戦略ミスの中での戦術の成功」に他なりません。

特に、育成真っ最中のユース世代に対してはプロセスを叩き込む意味でも時代の潮流を戦略の中心に据えてもらいたいものです。


さて、親分の日本代表は明日W杯予選のウズベキスタン戦。現地観戦予定ですので、しっかり応援してきまーす。
役割理解の最上級としてのトータルフットボール
YHEYです。

フォワード、トップ、トップ下、ウィング、ミッドフィルダー、ボランチ、ハーフ、ディフェンダー、リベロ、ゴールキーパー。

すべてポジション名です。
なんだか同じような役割を担っているポジション名がたくさんあったり、ポジション名にこめられた概念が人によって違ったりで最近は何が何だか分からなくなってきている気がしますね。

今日はその「ポジション」について考えてみました。

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チームスポーツにおいてポジションが存在するのは、役割を分担するためです。攻める人、守る人、バランスを取る人、ゴールを守る人。

チームというのは組織ですから、その構成員が役割を分担するのは効率化の観点から当然のことといえます。

そもそも組織というものは、経営学者のサイモンによれば「意思決定を簡素化するための装置」と考えられています。

これは限定合理性と呼ばれるもので、人間は情報が多すぎると合理的な判断ができなくなる、もしくは判断しにくくなるので、ある程度の縛りを与えるために「組織」という枠組みに当てはめて意思決定をさせようという考え方です。

例えば仕事でいえば、「あなたは営業組織における新規開拓の営業担当だから」といわれればすべきことが理解しやすくなりますが、単に「会社に貢献してくれ」といわれても何をしてよいのか判断が難しくなります。

つまり、組織の中で役割を分担するということは、自らのミッションを明確にして迅速な意思決定・行動に結びつけるため、というのが経営行動における基本的な理解です。

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サッカーにおいても、基本的にはこの限定合理性の考え方は応用できます。

11人の選手に対してポジションを与えるという行為は、まずは各自の役割を「攻める」や「守る」という限定された範囲に絞り込み、試合の中での意思決定や行動を迅速に行うためだと考えられます。

ただ、現代サッカーにおいて「攻める人」と「守る人」が分断されているなんていうことはありえないですよね。

もちろん仕事においても同じです。
「私は担当範囲じゃないから」という理由でグレーゾーンの対応を人任せにする人がいる組織は弱い組織といわれても仕方ありません。

役割として冠は与えられるけれど、それを越える範囲のタスク・業務・プレーも要求される。

ここに限定合理性だけでは説明できないダイナミクスが存在し、そしてそれが仕事やサッカーを複雑にし、おもしろくするポイントなのだと思います。

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ではこのダイナミクスとポジションというものはどう関連付けて理解すれば良いのでしょうか。

上述したように、ポジションとは役割理解のためのものです。
そして、役割理解とは協働力の中の1つのコンピテンシーです。
コンピテンシーであるということは、5段階程度の行動レベルに分けることが可能です。

例えばレベル1は受動行動なので、役割理解のレベル1は「集団の中で割り当てられたことは人から非難されない程度にやる」といった具合です。これがレベル5になるとパラダイム転換行動と呼ばれ、役割理解のレベル5は「成果を上げるために、自分に割り当てられたことにとどまらず、集団の中で果たすべき役割を自ら考え、周囲と協力して物事に取り組むことができる」といった具合になります。

つまり、コンピテンシーという概念から捉えれば、役割理解とは静的な状態ではなく、自律や適応、そしてポリバレントといったキーワードがすんなり収まる動的な状態であることが分かります。

ダイナミクスとポジションというものは、関連付けなどという前に、そもそも同じレベルのことを言っているものなのです。

**

ここまで考えて自分の中で初めてトータルフットボールというものの理解が少し深まった気がしました。

トータルフットボールとは、役割理解の最上級の状態なんだ、と。

全員攻撃・全員守備という言葉に凝縮されているのは、全員がすべきことを理解し動的に役割を変化させて自律的に動く集団に他なりません。要は、サッカーでも企業組織でも求められている姿は同じというわけですね。

と、言葉では簡単に述べられちゃいますが実践はそう簡単にはいかず。
論よりRUN。

僕はもっと走らなければならない。
サッカーを理論と持論で語る
YHEYです。すごいご無沙汰してました。

筆不精ならぬ打鍵不精になっていたのはきっといろいろ理由があるんでしょうけど、何となく3つに集約されてる気がしてきました。

①忙しいという名のもとに単に書かなかっただけ。
私事ですが2008年の4月に職を変えまして、それなりのバタバタもあったり。

②ブログを書くという非日常が失われた。
職を変えたことに関係あるのですが、僕の興味分野である経営とか心理とかリーダーシップとかシステム論議とかネットワークとか、そういったことを考える事が仕事の一部になりまして。

それまでは非日常として考えていたブログの内容が逆に日常になることによって打鍵する意欲が失われたんでしょうな。人間って不思議です。

あ、僕のブログはサッカーをエサに上記興味分野にアプローチするものだったんですよ、知ってました?

③巷のサッカー批評に感動できなくなった。
巷のサッカー批評に対する自己認識を自らの打鍵不精に結びつけるあたりが不謹慎ですが。

そこまで網羅的にサッカーの記事に目を通してるわけでもなく、ましてや自分の文章構成力や表現力なる能力が優れたものであるとは思ってもいないわけですが、巷のサッカーの批評に同感していない自分がいます。

戦術というレベルで捉えれば、もはや静的なテキストで表現できるものでグッとくる文章にはお目にかかれません。

なぜグッとこないかというと、最近の記事は文章構成力をメインに勝負している感があるからです。

もちろん僕なんか到底足元にも及ばないような素敵な文章を展開する方ばかりですので、そこに苦言を呈するなんてドアホが東大生を批判するようなものなのかもしれませんがね。

力強い文章を書く人、たくさんいます。
2000~3000字くらいの記事でも、素敵なプロットで落としどころを作る人、たくさんいます。

それはそれで素晴らしいことだと思います。

でもグッとこない。

それは、サッカーにはまだ語られていない側面があるのにそれを語っているものをおよそ目にしたことがないからなんだと一人ごちました。

サッカーは判断のスピードが大事だと言われています。
では、判断とは何をもとになされるものなのでしょうか。
そこに経営的な意思決定論や脳科学は適用できないのでしょうか。

サッカーは三角形を作ることが大事だと言われています。
では、そこにネットワーク理論は適用できないのでしょうか。
(昔一ツ橋ビジネス・レビューのネットワーク理論コラムでサッカーを本格的に書いている人がいたのは見たことあるんですが)


いや、実際の現場(試合)ではそういった理論は無意味かもしれないです。メッシやC.ロナウドがいれば勝つ確率が高くなるのが現実です。戦術を語ったところでそれを越える怪物が存在するのですから。

でも、ダイナミックなプロセスで成り立っているものを、静的なテキストで表現するときには理論による裏付けも重要なんだと思ってます。

理論を語って、持論を展開する。これがないと、「え!?それって何で正しいって言えるわけ?」と懐疑的になってしまう。



ま、ここまで書いといてなんですけど、③に対する思いは前からあったわけですが、それを自分の打鍵不精に結びつけるのは無理がありますねー。

やっぱ①か②が大きな理由。③なんて些細なもん。言ってみたかっただけってやつですな。

文章構成が優れている人、素敵ですよね。
実はグッとくることもあります。ウソついてごめんなさい。
システムとは何だったのか
YHEYです。

各地でW杯予選があったりユーロが始まったりしたので、サッカーのシステム論議があちこちで聞かれます。
岡田さんはオマーン戦のシステムについて4-4-2ではなく4-2-3-1だといったり、
オランダは伝統の4-3-3を捨てて4-2-3-1に変えたと報じられたり、
イタリアが4-3-3を採用してそれでオランダに負けたのは皮肉だといわれたり。

少し前に杉山茂樹さんの[4-2-3-1」という本を読みましたが、この影響なのか日本でもシステムを4段表記にすることが珍しくなくなりました。



では、システムとはいったい何なのでしょうか。
僕の考えを整理してみたいと思います。

**

まず最初にいっておきたいのは、システムとはそれ自体が目的になるわけではなく、手段です。
システムありきではなく、まずはやりたいことや目的が根底にあって、それを具現化するためのシステムであるべきです。

ですので、オランダが4-3-3ではなく4-2-3-1にした、というのは額面どおりに受け取るのではなく、例えば僕はこのように理解します。

「サイドの攻防を制するのがオランダのやり方で、4-3-3の場合は確かにワイドにウイングがポジショニングできるのでサイドを制することはできるだろう。
しかし、4-「3」-3の真ん中の3は、広い中盤を3人でカバーしなくてはならないことを意味し、相手に対して中盤では分が悪くなる可能性がある。
サイドから攻めることの意味は、中盤からではさすがに崩せないので、だったらサイドから、という意味合いによるものだ。
このままでは相手にその中盤から容易に攻められてしまう。
特に、イタリアではピルロ、スペインではシャビ、ポルトガルではデコのように、必ず攻撃のときに経由する核となる選手が中盤の底に居座っている。
彼らを1対1で抑えきるのは容易ではない。
イタリアのトニのようにポストプレーがうまい選手がトップにいる場合は、そこに自由にボールを出させるわけにはいかない。
やはりピルロのようなボールの出し手になる選手は確実に押さえ込むべきだ。
だから、中盤はもう少し厚くしよう。
しかしサイドの攻撃はやはり重要なので、ピッチをワイドに使いつつも中盤を厚くできる4-2-3-1のシステムにしよう。」

このように、やりたいこと、なすべきこと、目的などが明確になって初めてシステムが決まります。

これが戦術(というものの一部)ではないでしょうか。

**

サッカーには相手があり、試合というものはダイナミックなプロセスで成り立っています。
相手によって柔軟に、ダイナミックにポジショニングを変えるなどというのは現代のサッカーにおいては当たり前に行われていることです。

システムという目で見ればそんなものは試合中にころころ入れ替わっているのです。

ただ、いちいちやりたいことや目的などを表現するのは大変だから、4-4-2のようなシステム表記がされているのです。

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冒頭で紹介した書籍「4-2-3-1」ではそこら辺のシステム論議が実例も交えながら多く紹介されている良書です。
興味のある人はぜひご覧になってみてください。

ただ、残念だと思うのは、最後の最後まで「サッカーはシステムでするものだ」という論調であるということです。
これは表現の違いかもしれませんが、システムとは手段に過ぎないと僕は思っています。

会社に在庫管理システムがあっても、「仕事はシステムでするものだ」とは言わないですよね。
在庫管理をすること、もっといえば適正量の商品を販売することで営利を最大化することが目的であって、
システムはそれを具現化するための仕組みですよね。

サッカーも同じです。

3-5-2だから負けたとか、4-3-3は古いとか、そんな話しは馬鹿げています。
相手あっての戦術ですから、何がよくて何が悪いかなんて一元的な議論ではありません。

配置そのものには得手不得手があり、相性というものもあります。
その動きを動的に捉えて、俯瞰的な立ち位置から最適なポジショニングをし、数的有利を作り出す。

考えて走ることがいかに重要かが分かりますね。

**

ユーロと寝不足は続く。
構造化戦術
YHEYです。

アウェーのオマーン戦。とりあえず最低の結果は出したといっていいのかな?

僕はプロセスをとても大事にする人間なので、まあそれは再現性を担保したいからという意図からきているのだけど、やはりこの試合はプロセスがイマイチでした。

酷暑とかピッチの状態とか体調とか外部要因もいろいろあったとは思うけど、単なる個人のブログだし厳しいこといってしまいます。

**

岡田さんが「前半は真ん中から攻め急いでボールを失う場面があったから後半はサイドを使うように指示した」と言ってましたが、これを実現したいなら今のシステムじゃダメでしょう。

俊輔が中に入りすぎなんですわ。右に張り出す選手がいない。内田の負担が重すぎです。そんな中でも内田はよく走ってましたけど。特に最後オフサイドになったけど内田が相手GKと1対1になった場面、「なぜそこまで走れるんだー!!!」とちょっと感動しましたよ。

まあそれはさておきですね。

俊輔が中に入ったら大久保がサイドにまわるとかそういう基本的なルールがあればいいんですけどそういうのも見受けられないし。

僕もサイドから攻めるべきと思ってる人間ですので、岡田さんのコメント自体は賛成なんですけど実装がうまくいってないなー、と。

**

そしてそれ以上に言いたいこと。

2007年のアジアカップで得た対アジアの戦い方はどこにいったんですか?

これですよ。いつも僕が言いたいことは。


僕はですね、攻撃の組み立ては途中までは完全に構造化していいと思っています。
だってそれでちゃんと崩せますから。
数的優位作れますから。

数的優位が作れるまでボール回していいと思ってます。
攻め急がないでいいと思ってます。

構造化プログラミングといっしょですわ。

if then
else

とか

while

とか。途中までは型にはめていいんですよ。

if 前で簡単にボールをもらえそうな味方がいる
then そいつにパスを出す
else 横にいる別の選手にパスを出す

それでアジアならチャンス作れるから。最後の仕上げはアートの部分だけど、途中まではまさに構造化プログラミングならぬ構造化戦術で全然OK。

個人技とか、ひらめきとかが大事じゃないと言っているわけじゃないです。
でもそれを頼りにするって、あまりに危うくないですか?
戦術として攻撃を担保せずに何を信じたらいいんですか?

僕がプロセスを大事にしてるっていうのもそういうことです。

**

守破離の守を意識せずして次の段階には進めません。
JAZZの世界でも、immitation-simulation-innovationといわれます。
いきなりinnovationは起こせない。
まずは型を身につけることが何より大事です。

その上で個人としてどうするか、です。

オシムがエジプト戦から試そうとしていたのがまさにこのあたりでした。
型の習得はある程度アジアカップで証明されたから、個の力との融合を世界と戦うときには試していく。

今更ぶり返しても仕方ないですが、その後がすごい楽しみでした。

**

今の日本代表は1年前から成長していないと思います。
下手すれば退化しています。

まだ3次予選で敗退は考えにくい状態ですが、最終予選までには1つの形を見たいものです。
先制点・勝利・盲目
YHEYです。

W杯3次予選のオマーン戦、内容・結果ともにとてもよかったですね。
よかったので、あんまりブログに書くことがなくなってしまいました。
やはり僕の場合は悪いことの方が文字に落とし込みやすいみたいです。

**

ポイントは早い時間帯での先制点。これが全てだったように思います。

日本のボール・ポゼッションはかなり高く、試合をほぼ支配していました。
ただ、0-0であの試合運びだったとしたらきっとまた「得点が取れない」「攻めの形が作れない」などの論調が生まれたのは容易に想像できますね。

うーん。しかしここの考え方が難しいところです。
0-0と2-0で同じ戦い方をするかというとそうともいえない。
勝ってるときも「負けてると思って試合に臨め!」とかいう言葉を聞きますが、これは気持ちの面の話しであって、戦い方としては勝ってるときと負けてるときではまるで違うものになってしかるべきです。

先制点がもし前半のうちに取れなかったら。後半になっても0-0の状態が続いていたら。

また世論は厳しい言葉を浴びせたかもしれません。
プロセスとしての戦術は正しかったとしてもです。

しかし、結果としてオマーン戦は3-0で勝利した。得点へのプロセスも素晴らしかった。早い時間帯に先制できたので余裕のある試合運びができた。

こうなると粗探しをしない限りとりあえず今週のうちは否定的な批評をすることは難しい。
決定力不足、なんて一言でいえるような問題があったとしても、それが3-0の勝利によって解決することなどありえないのに。

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勝利はうれしくある。
だけどそれでうやむやになる問題もあるかもしれない。

結局僕が言っていることも粗探しに過ぎないのかな。

とりあえず3次予選で敗退するなんて微塵も思ってませんから。
長い目で見守れればいいかな、と。

今週は代表の素晴らしい勝利に酔いましょうかね。
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