サッカーは創造力
サッカーをモチーフに。 サッカーをメタファーに。
先の先で勝ちきる強さ
YHEYです。

サウジ戦、韓国戦ともに攻めながらもここぞという得点が取れずに敗れてしまいました。そう悲観的になる必要もないと思っているのですが、真剣に考えなくてはならない部分もあると思います。

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悲観的にならなくていいと思うのは、「攻撃の形」を作るためのアプローチはしっかりできているので、後は最後に決める「だけ」というところまできていると感じるからです。

サッカーにおいて絶対に得点が入る形というものは作ることができません。ということは、得点が入りやすい形をなるべく多く作ることが得点を取るための現実的なアプローチといえます。日本のサッカーは、ボールポゼッションをなるべく高めて、すごい陳腐な言い方をすれば相手が少ないところに攻め込んでいくことを目指しているのだと思います。サイドの方が大抵相手が少ないので、サイドアタックが必然的に多くなります。実際、相手を深くえぐってのセンタリングの回数は相当な数だと思います。つまり、形を作ることはできているのです。

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真剣に考えなくてはならないと思うのは、いつの時代も、そしてほとんどどこの国でも同じだとは思いますが、最後に決める「だけ」のその最後の部分がどうしてもうまくいかないからです。

これは現実的な解決策は存在しないと僕は思っています。だけど、真剣に考える必要はあるのかもしれません。

僕の場合、このいわゆる決定力と呼ばれているものを考えると、どうしてもアプローチとしての正しさに目がいってしまいます。
・絶対に得点が入る方法は存在しない
・得点が取れる確率が高い方法は存在する
⇒得点が取れる方法が高いパターンを多数作り出す

これが決定力に対する現時点の答えだと考えてしまうんですよね。

決定力の話しになるといつも日本人の特性のような面も出てくるのですが、そんなものが存在したとしても、それを変化させるには突然変異を期待するか、うまくいくかも分からない長期的育成プランになると思います。

真剣に考えるためのアプローチをもっと探る必要があるのかもしれません。

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これは好みの問題にもなると思いますが、日本はどんな相手であってもフレームを変えようとしません。つまり、相手の先(せん)を取るサッカーを常に心がけています。

僕はこの先を取るサッカーがとても好きです。

どんな相手であってもフレームの正しさを信じてサッカーを展開する。これはすばらしい美学ではないでしょうか。僕は、試合に勝ったとしてもアトランタ五輪のブラジル戦のように守って守って攻めに転じる気もなく、ラッキーパンチで勝つような試合のプランを用意してほしくありません。

ただ、先を取るサッカーを常に展開しているのは、ブラジル、アルゼンチン、オランダ、フランス、イングランド、アフリカ諸国くらいに思えます。それほど先を取るサッカーは難しいと思いますが、ぜひとも日本には今のサッカーを続けてほしいと思います。

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逆に、後の先を取るサッカーというものもあります。相手の強みを消すことが自分たちの先だとするサッカーです。

サウジはまさに後の先を取るサッカーで日本を打ち破ったのだと思います。日本の攻撃は徹底的に研究され、そして日本の守備に対しては1対1を何回も仕掛ければ少ない人数でも得点できるように思われていたのだと思います。

そして、今世界の主流は後の先を取るサッカーです。

去年から今年にかけてはイタリアがワールドカップに優勝し、ACミランがチャンピオンズ・リーグを獲りましたが、これはまさに後の先を取るサッカーです。前身はゾーンプレスなんだと思いますが、とにかく中盤を厚くして相手に自由を与えない。

チャンピオンズ・リーグ決勝ではリバプールは最高にスペクタクルな先を取るサッカーを展開していましたが、ミランの前になすすべなく敗れてしまいました。

前半を0-1とリードされて迎えたハーフタイム、リバプールの選手たちは監督に、得点を取るためにこれ以上何をすればいいのか問い詰め、監督も答えに窮したと言われています。それほどすばらしいサッカーをしていたリバプールをも飲み込む「後の先」の強さが今は際立っています。

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だけど僕は後の先ではなく、先の先で勝ちきるサッカーを応援したい。そして日本にも先の先を取ってほしい。日本は身体能力が高くないので、カウンター・サッカーには向かないですし、守りきるだけ力もあるとは思いにくいです。

それならば、先の先で勝ちきる。

そのためのアプローチが、今の日本のサッカーです。


日本のサッカーは、日本化に近づいているのではないでしょうか。
プレーは状況に組み込まれている
こんにちは。YHEYです。

最近自己矛盾を抱えていてある種困惑しているのですが、矛盾をより高次で捉える撞着(どうちゃく)という概念を覚えて困惑から一歩抜け出せそうな気がしています。


日本代表はとてもいいサッカーをしています。オーストラリア戦においても、一部オーストラリアの個の力に屈した場面もありましたが、ほとんどの時間で日本がゲームを支配し、日本のフレームでサッカーを展開することができていたと思います。

いいサッカーが常に勝つとは限らないけれど、勝つための方法を模索した結果今のサッカーにたどり着いたわけで、そのアプローチは正しいと思っています。ですので、アプローチが正しいのに結果として負けてしまった場合に、僕は「負けたこと自体」をアプローチの正しさという担保によって消化すべきなのかもしれません。

しかし、本当に負けた場合はそんな理屈云々で負けたという事実を受け入れられるわけがありません。怒りや悔しさなどの感情がこみ上げてきて、だけどそれはどこにもぶつけることができず、悶々とした気持ちを抱えたまま時間が解決してくれるのを待つ羽目になります。


この冷静な自分と熱い自分を同居させていることは矛盾でもありますが、同時にこの状態をメタ認知できていることがとても大事だと感じるようになりました。

サッカーでは「冷静に熱くなれ」と言われることがあります。冷静な目で試合を俯瞰しつつ、熱くプレーせよという意味です。

これは撞着語法と呼ばれるもので、一見矛盾した語句を併せて使用することでより高次に捉えようとする語法です。この場合、「冷静」も「熱く」もどちらも正しいわけではなく、またどちらも間違っているわけではありません。どちらかというと、止揚の概念に似ていると思います。

個として全体、全体として個、も撞着です。言わばバランスを取ることが大事であり、白か黒か、正義か悪か、といった二元論や要素還元主義では捉えきれない事象が多々あることを示しているのだと思います。

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監督ができることは、戦術、選手交代、個々のプレーの指示などに対して正しさを与える作業です。

そして選手は、個々のプレーに正しさを与えることが求められます。

プレーは全て状況に組み込まれています。

例えば高原が中村憲剛からボールを受けようとしたが、高原がボールに触る前に後ろから来た相手にカットされた場合、それは高原だけが悪いと言えるのでしょうか。

近視眼的に見ると、ボールを奪われた高原が悪いと思われがちです。

では、出し手の憲剛は悪くないのか。高原以外にボールを出す選択肢はなかったのか。なぜ高原にボールを出すことがよいとそのときに判断したのか。考えるべきことはたくさんあると思います。

さらに考えると、周りの選手はどうだったのか。もっとサポートできたのではないか。高原に対してコーチングの声があってもよかったのではないか。そもそもその時間、タイミングで得点を取る必要はあったのか。

サッカーは1つのプレーだけを切り取って考えてもよく分からないことがたくさんあります。

オシムがすばらしいと僕が常々思うのは、「プレーは状況に組み込まれている」ということを理解し、サッカーにおいてできることはプレーに正しさを与えることだということを実践しているからです。

これこそが「アプローチの正しさ」であり、これを実践している限りは監督としてのオシムを信頼し続けます。

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グループリーグに続いて、オーストラリア戦も内容が伴う勝利だったと思います。

もちろん、力はまだまだ足りないと思っています。今年の南米選手権の決勝のブラジルの先制点、ジュリオ・バプチスタのゴールを見ると、あんな選手がいる国に勝てる日が来るのだろうかという思いも芽生えます。

しかし、今は日本にできるサッカーを精一杯実践しようとし、ここまでの4試合では見事にそれを見せてくれています。

日本、そしてオシムのフレームを信じて、残り2試合前に進んでほしいと思います。


Pax Conceptual
こんにちは。YHEYです。

(今日は回想シーンが多く自叙的な構成なのでデスマス調ではありません)

大学時代、情報化社会研究というキャッチーなタイトルの僕らのゼミでは、学問というよりは週刊誌が好みそうな流行り廃りを追いかけて、今思えばもっと勉強すればよかったと思うけれどもあれはあれで僕のキャリア形成の一端を担ったものになっているし、僕という人間を構成する一要素にもなっている。

ゼミの教授はおとぼけたおじいちゃんでお気に入りの女の子の手を握りたがるような困った一面も持ちつつ、事象の捉え方については確かな視座を持っていたように思う。

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ある酒の席での教授の一言。

「僕がね、教授の世界でずっとやってこれたのは、それは僕が常に本質を追求していたからなんだよ。だから情報化の世界に身をおきながらも最先端の技術をいちいち追いかけなくてもやっていけるのですよ。」

70歳近くの酔っ払いの発言とは思えない確かな信念がそこに存在したことに僕は打ちのめされた。


教授は1980年代の後半あたりからubiquitous computingを提唱し、提唱したときは最先端だったはずだけれど、その後2000年になってもまだubiquitousだと言っていた。当時の僕らはそれを笑い話にしていたが、今考えればそれはまだ教授の感覚に世間が追いついていなかっただけなのかもしれない。

経済学、政治学の視点から情報化として何が必要なのか。

教授は僕らには見えない高次の視点から常に本質を追いかけていたのだろう。

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その教授が好きだった表現に、「Pax ○○」というものがある。

産業革命時のPax Britannica。

そして第一次世界大戦あたりから近代までのPax Americana。

(注:Paxには平和という意味がありますが、ここでは世界を席巻していたという意味で使用しています)


教授はまた僕らに問いかける。

「次のPaxは何によってもたらされると思うかね?」

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イギリス、アメリカ、次は・・・日本?中国?僕らの脳には国名がよぎる。

教授はすかさずこう答える。

「次はね、Pax Informaticaだよ。情報化社会においては情報が優位をもたらすのですよ」


情報化の波はまだ始まったばかりで、企業を中心にCRMがもてはやされたりBtoBやBtoCといった言葉が生まれたりした。現代はその波は個人レベルでも影響力を発揮できるいわゆるWEB2.0にまで及び、情報化の影響はこれからますます大きくなることは疑いようがなく、また誰にも止めようがない。

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しかしかつては100年単位で続いたパラダイムも、今は数年単位で遷移してしまう時代になっている。

Pax Informaticaはまだ終わらないけれど、既に次のパラダイムはやってきている。

それは、Pax Conceptualとでも表現できるだろうか。

情報は情報として捉えても意味がなく、そこに意味づけをする必要がある。同化、差異化などによって情報を意味づけし、グルーピングし、つなぎあわせ、コンセプト化する、またその方法を模索していく力、そして方法自体を方法論化する力が必要だ。

ここまで考えて、何かが引っかかることに僕は気付く。

このコンセプト力は今さら大切になったものなのか?

いわゆるクリエイティブな仕事をしている人たちにはこれまでも十分に重要な要素であり、そうでない人でも必要な要素であったのでは?


しかしここでまた僕は原点に返る。


情報化だって元より重要であった人たちはいたけれどあくまで特定のドメインの人たちに影響するものだったのが、今は個人レベルまで影響が及んでいる。

コンセプト化も同じことがこれから起こるのではないか。

そう、世界はフラクタルだった。

情報化の波もコンセプト化の波も、本質は同じなのだ。コンセプト化の波はもうすぐそこまで来ていて、近いうちに個人レベルにまで影響が及ぶようになる。

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ダニエル・ピンクは著書「ハイ・コンセプト」の中でコンセプト力が必要になった背景の3つの要素を語っている。

・アジア
・豊かさ
・オートメーション

アジアからの安い労働力の輸入、もしくは昔でいうところのオフショア化がますます進み、誰でもできることは安い労働力によって提供の形に変わる。
働かなければ生きていけないというような時代ではなく、仕事なら何でもいいという感覚ももはや希薄になってきている。豊かさが価値観を変えている。
機械にできることは当然機械にやらせたほうが早く正確に大量にこなすことができる。

そして右脳とARTの重要性を力説している。

フラット化する世界、富の未来、クリエイティブ・クラスの世紀などなど。パラダイム・シフトを謳った書籍がヒットを飛ばしている。

好む好まざるにかかわらず、世界のこの波は誰にも止められない。

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価値提供をどのように行うのか。

結局はここに尽きるのかもしれない。その方法、あるいは需給バランス、ニーズが変化するのを見極める必要があるということか。

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考えてみればサッカーなんてとっくの昔に価値提供ありきの世界にシフトしていたのだった。11人対11人で限られたスペースで限られた時間で得点を奪い合う。この単純なスポーツがとても複雑であるのは創造性がそこに絡んでいるからなのかもしれない。

味方同士の相互作用、敵味方の相互反作用は2つ(2人)、もしくはそれ以上の関係性の下で生まれる創造力の結果創出されるものに他ならない。サッカーが熱を帯びたスポーツであるのは創造性を発揮する機会がありふれているからだ。

なるほど、単純であり複雑であるというのは関係性が絡んでいるからなのだな。

そう考えるとサッカーのほうがフットサルよりも圧倒的に複雑であることも説明がつく。11C2=55に対して5C2=10だもんな。ふむふむ。

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話しがそれてしまった。

そんなコンセプト社会において、僕自身の立ち位置はどうすればよいのだろう。

やはりコンセプト化をコンセプト化するというメタコンセプトに求めるべきなのかな。逆に言えばメタの次元がなければ単なるアイデア・ひらめき・思いつきベースになってしまう恐れがあるということだし。メタに軸足を求める考え方は間違っていないと思う。

本質を追求するゼミの教授の視座を僕は少しでも捉えているだろうか。




今日は(今日も?)長くなってしまった・・・。



アジアカップで成し遂げるべきは
YHEYです。

とりあえずグループリーグ1位突破安心しました。アジアカップ制覇が最終目標じゃないとか色々言いながら、このリーグで1位突破できないようじゃ先が思いやられると感じていたのでホッとしています。

また、このグループ予選を見ていて今まで漠然と感じていた今大会の目標が僕の中で確固たるものとなったので今日はそのあたりについて記載したいと思います。

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その前に、簡単にベトナム戦を含めたグループリーグの戦評を。

3試合とも日本としてのフレーム(*)が崩れることはなかったと感じています。完封試合がないことはいただけないですが日本を窮地に追い込むような失点はなかったですし、内容としては3試合とも思い通りに運ぶことができていました。

(*)グループリーグに限って言えば、高温多湿な環境を考慮し、ボールポゼッションを高めてボールを動かし無理せずに数的有利が作れた時点で攻めに入る形。

ベトナム戦の失点含め、原因は精神的な部分とか油断とか、言葉ではいくらでも表現できるけど実際の修正は非常にナイーブな部分です。プロとして、代表として、ミスから失点してほしくはないけれど、最も怖いのは日本が持つサッカーの枠組みやフレームが崩されて失点することであり、そういった失点はグループリーグでは見られませんでした。

油断から生まれる失点などは当然課題として抱えてもらうとして、サッカーの質としてはグループリーグで発揮したものを決勝トーナメントでも出してもらえれば、と多少楽観的な気持ちになったグループリーグでした。

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では今日の本題へ。

まず誰もが知っていることですが、今戦っているのはアジアカップの本大会です。ホスト国以外は予選が義務付けられ、予選を勝ち抜いた国のみが本大会に出場できます。

今大会はホスト国がタイ、ベトナム、インドネシア、マレーシアの4ヵ国ありますので、予選を勝ち抜いて本大会に出場できるのは12ヶ国。AFCに加盟している国は2007年は46ヶ国(くらいかな?)ですので、実質は42ヶ国中12ヶ国が出場できることになります。これは結構な倍率ですよね。

ところが、そのアジアカップ本大会でも、グループリーグで戦う国は実力的には日本の敵はいません。今大会はホスト国以外には日本、韓国、イラン、オーストラリアがシードになりましたので、グループリーグであたる可能性がある国で「ちょっと嫌だな」と思うのはサウジアラビアくらいかもしれません。

もちろん、日本が絶対に勝てると言っているわけではありません。カタール戦のように引き分け、あるいは負けることもありえると思います。

ただしその引き分けや負けは、相手がゴール前を固めて守りに守って攻撃はカウンターのみ、といった形でのものになると思います。正面から日本と戦って互角以上の勝負ができる国はアジアにはほとんどいないでしょう。

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決勝トーナメントでは上記のシード国と当たる可能性もありますので、多少は骨のある試合ができると思います。ただし、そういう経験ができるのは決勝まで勝ち上がっても3試合程度です。

アジア最高峰の大会でも、日本と正面からぶつかれる国はほとんどいない。しかも、この記事を書いている時点では韓国はグループリーグ最下位に沈んでいます。

世界で戦える力を身につけなければならないのに、強い相手と戦って経験を積まなければならないのに、このアジアの現状で日本が強くなるとは思いにくい事実がここに純然と存在してます。

とはいえ、実際にワールドカップの予選を戦うときは、またこういった守りを固めてくるチームを相手にしなければなりません。

これは日本が抱えるジレンマです。

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とはいえ、守りを固めてくるチームとの戦い方はある程度できてきているように思います。

そうなると、やはりオシムが日本サッカー協会に進言しているように、弱い相手との親善試合は意味がないのかもしれません。

サポーターとしては代表が圧勝すれば気分がよいです。現地観戦していればその気持ちは一層高まります。

しかし今日本が実施すべきは、そういった「圧勝できそうな」相手との試合ではありません。5回戦って1回勝てるかどうか、といった試合をどんどんこなす必要があります。

そう考えたときに、アジアカップにはすばらしいご褒美が用意されていることを思い出しました。それはアジアカップ優勝国にはアジア大陸代表としてコンフェデ南アフリカ大会への参加資格が与えられるというものです。

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アジアカップでの優勝そのものを必ずしも目指す必要はないと思っていましたが、気が変わりました。

もちろんアジアカップ優勝国がコンフェデに参加できることは知っていましたが、今大会のグループリーグを見ているうちにコンフェデのような大会で経験を積むことが非常に重要だと尚更に感じるようになりました。

副賞(?)を得るためにも、是非がんばってもらいたいと思います。



あ、決勝トーナメントの初戦はオーストラリアに決まりましたね。これは楽しみだ。
戦略・戦術・個々のプレー
こんにちは。YHEYです。

アジアカップのUAE戦、のらりくらりしたサッカーでしたが、ほとんど危なげないサッカーで勝利して首位に立ちました。

これで最終戦は引き分けでも予選突破と優位な立場になりました。カタールの試合結果次第ではベトナムは引き分けでは予選突破できないので、試合のどこかで確実に攻めてくる時間帯があると思います。そこをうまくケアできれば問題なく突破できると信じています。

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前半は思ったよりUAEが前からプレッシャーをかけてきました。気温31度、湿度79%であそこまで追い込んできてはとても後半までもたないので、前半はゆっくりとパスを回して相手を疲れさせればいいかなというサッカーをしているように見えましたし、それでいいと僕も思っていました。

ところがサッカーというものはよく分からず、そうやってのらりくらりと回しているときに点が取れるようです。

3得点以上取って、2点差以上で勝てればいい試合でしたので、前半で3点取れたことはとてもよかったと思います。

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後半は1人少ない相手に失点し、しかも0得点といういただけない結果でしたが、最大の目標である3得点以上且つ2点差以上の勝利を手にしましたので個人的には及第点をあげたいと思います。

もちろんファンとしてはもっと得点シーンが見たいし得点できるチャンスも多々ありましたが、リスクを冒すよりはボールポゼッションを高めようという全員の共通した意識も見られ、初戦と同じように「何がやりたいのか意識がバラバラ」ということもありませんでした。

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つまりこの試合では、選手の中で、戦略・戦術・個々のプレーの一貫性が取れていたので安心して見れたということです。

戦略とは、大局的に見て何を目的にして何を達成すべきかという観点です。これは試合内容や結果だけに留まらず、ときには日本サッカーの継続的な発展といったかなり俯瞰した要素が含まれることもあります。

そもそもオシム・ジャパンはアジアカップを最大の目標においていないので負けてもいいかという見方もありますが、せめて予選くらいは突破しないと今後の代表強化にも影響があると思います。そういう意味では上述したように3得点以上且つ2点差以上での勝利を目指すのが常道で、これが戦略としての視点です。


戦術とは戦略を達成するために何をすべきかということです。

僕は前半には1点くらい取れれば御の字で、後半に相手が疲れてきたときに勝負するのかと思っていましたが、あれよあれよという間に3点取れてしまったので、この戦術部分に関してはあまり分からずじまいでした。まあ、相手が4バックだったので4-4-2を採用し、巻をうまく使っていたのは戦術の一環ですかね。その他、この試合に限ったことではなく、日本としてはボールポゼッションを高めて連動性で攻めるというのもアジアにおける戦術だと思います。


個々のプレーは、戦略・戦術を満たすために個々が何をすべきかという観点です。

サッカーは局面で常に変化するスポーツですので、正解のプレーというものは存在しません。とはいえ、常に何かのプレーを選択しなければならず、その意図はそこに存在するはずです。演繹的観点である戦略を達成するために、帰納的に何をすべきか。演繹と帰納が融合したときに、チームとしての意思疎通が生まれ、連動やダイレクトプレーが生まれます。

むやみに得点を取ることがいいことではなく、戦略や戦術を達成するためのプレーがいいことであるべきで、そういう意味で後半の戦い方も至極納得的なものでした。

うれしかったのは、若い水野もそれを理解していたということです。若い選手は往々にして活躍したいとか点を取りたいと思い、個が目立とうとするプレーをしがちです。ところが水野も得意のドリブルはほとんど仕掛けずにボール回しに徹していました。試合終了間際は誰かにシュートを撃ってほしかったので、あれを水野が撃ったというのはご愛嬌ですかね。

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日本の実力はアジアでは抜きん出ています。サウジアラビア対韓国の試合も観戦しましたが、サッカーの質としては日本の方が上だと思いました。

韓国はかなり前線からプレッシャーをかけてきますが、そこをかいくぐればバイタル・エリアでフリーになれます。

サウジアラビアはアフリカ的なサッカーを仕掛けてきますが、アフリカほどの身体能力はなく、また組織もそこまで完成されていません。


今の日本のサッカーを展開して、それで優勝することができたら勝負にも勝って試合にも勝ったと胸をはれる気がします。過度な期待は禁物ですが僕の目で見る限りではアジアでは最もいいサッカーしているので、勝ってほしいという思いはどうしても生まれます。

いいサッカーが必ずしも勝つわけじゃないところが、これまた難しいところなんですけどね。
日本代表の系譜
こんにちは。YHEYです。

U-20ワールドカップ、とても残念でした。勝ち試合だっただけに非常にもったいない。でもその勝ち試合を逃してしまったのは、他ならぬ彼ら自身だったので、いい勉強になったことと思います。

今日は試合自体の評価というよりも、U-20代表に見た今後の可能性と次世代との融合について記載したいと思います。

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恥ずかしながら今回のU-20代表を見始めたのはアジア予選からで、それより以前から知っている選手は森島と田中亜土夢くらいでした。高校選手権はよくチェックするのですが、最近はユース出身の選手が増えてきたこともあって個人的に注目している選手も少なく、正直小粒だというのが僕の印象でした。

そしてその印象はアジア予選を観ても変わるものではありませんでした。U-20ワールドカップ本選への出場は決めたものの、チームとしての荒が目立ち、あまり期待できないと勝手に決め付けていました。

ところが初戦のスコットランド戦、彼らはすばらしいサッカーを見せてくれました。サイドが強いチームが試合の主導権を握るということを実証してくれました。

諸外国のチームを相手にしても全く臆することなく勇気を持ってプレーしている姿は日本人としてとても誇らしく思えるものでした。

彼らは小粒でもなんでもなく、自信を持って世界に送り出せる実力集団と思います。

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話しは変わりますが、日本代表を継続的に強化するためには、常に世代を超えたチームの融合が必要になると思います。

トルシエはここに関しては非常に優れていました。U-20、オリンピック、フル代表と全ての監督を務め、世代間の融合を図りました。就任当初に参加したコパ・アメリカではコテンパンにやられましたが、今思えばあの時点でのフル代表にはたいして興味がなかったのかもしれません。

U-20ワールドカップ準優勝のメンバーをシドニーオリンピックに連れて行き、シドニーオリンピックでベスト8の実績を引っさげて、いよいよアジアカップの前にメンバーの大胆な若返りを実施しました。

あのアジアカップでは初戦でサウジアラビアを4-1で撃破し、ほとんど危なげない展開で優勝しました。優勝すべくして優勝した、そんな大会だったように思います。


世代の融合は目先のアジアカップだけでなく、ワールドカップ、そしてまた次のワールドカップと日本代表の系譜そのものです。この強化を、監督、そして協会は怠ってはいけない。

しかし、ジーコのときにこの系譜が途切れてしまいました。

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結果としてレギュラーメンバーにシドニーオリンピック世代を起用することには異論はありません。ところが、親善試合だろうが練習試合だろうが、メンバーを固定しすぎるのがジーコの悪い癖でした。

今の代表に選ばれている今野や阿部、中村憲剛、播戸、鈴木啓太、闘莉王あたりはジーコ時代から経験を積んでいても全くおかしくないメンバーです。ところが彼らはもはや若手とは呼べない20代後半になって初めてフル代表として世界を経験しようとしている。

これは代表にとって大きな損失です。

レギュラーになれなくてもそれは仕方ない。最後は監督が決めることですので。せめて、合宿に呼んだり、親善試合ではメンバーを入れ替えたりして経験を積ませてあげたかった。


オシムに課された仕事の1つに、この系譜を再びつなぐことが挙げられます。

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今回のU-20では、槙野、内田、安田、梅崎、森島あたりは十分オリンピック代表として通用すると思います。

すぐにでも合宿に呼んでまずは下の世代で融合を図ってほしいです。

今のオリンピック代表には、いいサイドバックがいません。それが理由かどうかは分かりませんが、反町さんは3-5-2をいつも選択します。

ところがこれに内田と安田が加われば4-4-2や4-5-1を組むこともできると思います。

例えば3-5-2ではこのようにして、

  森島   李

     梶山
家長        水野
  本田(拓) 枝村

水本 伊野波 槙野

     西川


4-4-2の場合はこんな風にもできます。

    森島   李

家長           水野
    本田(拓) 枝村

安田 水本 伊野波  内田

       西川


もちろん梅崎はこの布陣に食い込んでいける実力があると思いますし、他にも例えば中村北斗をサイドバックで使用するとか、田中亜土夢はボランチで使用するとか、オプションがどんどん増えると思います。


そして、当然彼らは今後フル代表にもチャレンジしていくことになります。

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経験を蓄積し、それを途切れることなく世代間で共有すること。

サッカーだけの話しではなく、仕事でも重要なことですよね。
日本にスリートップはそぐわない
こんにちは。YHEYです。

うーーむ。アジアカップ。正直気分よくないですね。

引いた相手にどう攻めるかは永遠の課題のようです。

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まずは終盤の失点について。

阿部も悪いといえば悪いですが、阿部だけの責任ではありません。高原が試合後にコメントしていたように、全員足が止まっていました。そしてそれ以上に、後半残り5分の時間帯はバックパスが多すぎることが元凶です。

点を取って2-0にするのか、守りきるのか。
点を取るなら誰がどこまでリスクを冒すのか。
守るならラインはどこまで下げてどこにプレッシャーをかけに行くのか。
キープするのかクリアするのか。

後半残り15分くらいは意思統一がまったく見られませんでした。

カタールは残り5分くらいは多少は攻めに出てきていました。

日本は4バックですが、基本的に守りに入るのは中澤、阿部、鈴木の3人です。3人しかいない状況で相手がボールを取りに来たら、危険もあるかもしれませんがそれはチャンスと見るべきでしょう。カタールの前線のボールチェイスは組織的に行われているとはとても思えませんでしたので、中澤や阿部がプレッシャーを受けるとたいてい中村憲剛(橋本)や加地、今野はフリーになれます。そこに出せばいいのに、バックパスを繰り返してしまった。

この逃げの意識が失点を生んだと思います。

また、フリーキックの壁もバラバラでしたし、あの時間帯だけは本当に勝とうという意識があったのか疑問です。

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攻めに関しては、ボール回しはよくできていたと思います。

もう少しミドルを撃ってもいいかとも思いましたが、あそこまで引いた相手に対して形を作っていましたし、全般的に悪くないと僕は評価しています。

ただし、システム論議はあまり好きではないのですが、高原の1トップに山岸を組ませるのはやめてもらいたいと思っています。

山岸は基本的に左サイドでしかプレーしませんし、ポジショニングから見てもフォワードの位置づけです。すると、右サイドにも同様の人物がいないと右サイドがおろそかになってしまいますが、右サイドは俊輔の担当であり、彼はサイドアタッカーではありません。どうしても中に入ってきてしまいます。

左に張る山岸と中に入ってくる俊輔では全体のバランスが悪すぎます。

スリートップにするなら、真ん中の高原はいいとして、残りの2人は山岸や羽生、(今は代表にいないけど)アレックスのような人物を使って、4-3-3にすべきです。

とはいえ、やはり日本はサイドからえぐれるドリブラーがいないので、スリートップではなくてツートップがよいと思います。ツートップにするなら山岸ではなくて、佐藤寿人や巻、羽生を高原と組ませ、全体のバランスを取ってほしいと思います。

U-20の4-4-2なんかは理想の形ですね。サイドバックの運動量が多く、安心してボールを預けられるから相手の守備がワイドになってスペースができ、試合を支配できます。

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とはいえ、試合としては悪くなく、あのまま1-0だったりもう1点とって2-0で勝っていたら世間の論調も違っていたと思います。

失点につながるかもしれない緩慢さがあったとはいえ、それが実際に失点につながるかどうかは誰にも分からず、逆にそのカウンターで得点できたりすることもあります。

サッカーに限った話しではないですが、本質を追求し、「なぜそのプレーが正しいと判断したのか」を常に問い続けなければなりません。プレーに絶対の正しさはありませんが、正しさを与えることはできます。この正しさを与える作業こそが「なぜそのプレーを選択したのか」という問いであり、その仮説と検証の繰り返しに他なりません。

結果として勝てなかった場合でも、本質は常に追求してほしいと思います。
Now and Here
YHEYです。

サッカーをテレビ観戦することとスタジアムで現地観戦することの違いについて考えてみました。

現地で観戦したほうが全体を俯瞰できますのでサッカーをより深く洞察することができます。テレビ、特に民放の場合は選手のアップなどどうでもいい映像を頻繁に放映しますので、サッカーを全体として捉えることが難しくなってしまいます。

では、パブリック・ビューイングにもたくさん人が集まることがあるというのはどういうことなのでしょう。

やはり人は、その場の雰囲気や盛り上がり、歓声、それら全てを帯びた熱などを共有・共感し、ほかならぬ自分の感性で体感したいという欲求があることは間違いないでしょう。

これはテレビ観戦では体感できないことです。

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テクノロジーの進化はまさに日進月歩であり、携帯電話やインターネットは人々の日常生活をも一変させた典型的なツールであるように思います。

これらのツールでよく謳われていたのが、「空間・時間を超えたコミュニケーション」というものです。

確かに電話があれば同じ空間にいなくてもコミュニケーションが可能ですし、メールがあれば空間どころか時間が異なっていても気軽な即時(相手に届くまで一瞬あるという意味)コミュニケーションが可能です。

これはこれで非常に便利ですし、もはや僕らの生活に欠かせないものになっています。

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とはいえ、一方で電話やメールよりも直接コミュニケーションを取ったほうが「よりよい」コミュニケーションが取れるということは誰もが理解していると思います。

「メールのほうが言いたいことが言える」という意見もありますが、これは特殊なケースであり、文字でコミュニケーションを取るよりも相手の表情などを見ながら直接コミュニケーションを取ったほうがはるかに多い情報量を双方向で伝えあうことができるはずです。

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「空間・時間を超える」ことは便利なことですが、それは逆に直接コミュニケーションが取れていない、直接の対話ができていないことに他なりません。

対話とは知を生み出す源泉です。電話やメールばかりだと対話による相互作用が生まれず、論理的な展開だけが頼りになる場合もあります。

 ・ ソクラテスは人間である
 ・ 人間はいつか死ぬ

⇒ ソクラテスはいつか死ぬ


これは有名な三段論法であり、この展開自体は論理的で正しいのですが、「だから何なの?」というso what?に陥ります。

本来人間の行動は、内発的報酬によって生み出され、それは論理的な展開だけでは説明できません。

 ・○○がやりたい
 ・○○を達成するには△△という行動が必要

⇒ 行動する


3段目で出てくるものは行動であるべきで、またその源泉となる「○○がやりたい」は内発的であり論理的には説明できません。

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対話とは、即興的なものであり、お互いの考えが常に相互作用しあう場です。

お互いの価値観が作用することにより、1人では見えなかった視点が見えるようになることもあるなど、対話は知の源泉です。電話やメールに頼りすぎるとこの対話が疎かになり、新たな知見が生まれない結果となります。

大事なのは、「今、ここ」を共有することであり、共感や協働感といったものだということです。そして心底から訪れる共感は全脳的にもたらされるものであり、左脳だけのアプローチでは得ることができません。

メールなどの字面のコミュニケーションは左脳が使われることが多いため、全脳的アプローチができません。

そういった意味でも「今、ここ」で右脳も使ったコミュニケーションが行われることが大切なのです。

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WEBは便利なので何にでも応用できます。

しかしその便利さにおぼれ、本来WEBが持っている意味や知を生み出すアプローチなどを見誤ると知らず知らずのうちにWEB社会の罠に陥ってしまう可能性があります。

WEB会議やe-learningはとても便利で重要なツールですが、使用法を誤ると効果が思ったようにあがらないことも起こりえます。

ある方法や方法論を使用することによって期待できる効果と、やりたいことや目的を達成するために必要な要素がうまくマッチしていることが大切です。

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「今、ここ」の共感は言語だけでなく、皮膚感覚や視点、雰囲気、熱、その他全てにおける全脳的アプローチの共感が含まれます。これらの感覚が仲間意識の醸成につながり、所属欲求を満たすことにつながります。

サッカーを現地観戦することは特に「熱」の共感が生まれ、「共に戦っている一員である」というような意識も生まれます。


うーむ、今日これを書いて現地観戦したい欲求が高まってしまいました。

若さあふれる元気集団
YHEYです。

U20ワールドカップが始まり、来週からはアジアカップも始まるのでまた寝不足の日々が始まりそうです。

今日は、U20ワールドカップの日本の初戦、VSスコットランド戦をテレビ観戦しましたのでその感想を記載します。

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いやはや。正直言っていい出来です。日本に強さを感じました。ある程度攻め込まれた時間もあり、また、3-0とリードした後に失点したことはいただけませんが、全体として完全にゲームを支配していました。

ご存知の通り結果は3-1で日本の勝利でしたが、3-1以上に内容に差があったと思います。テレビの前で何度も(いい意味で)うなってしまいましたから。

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日本の攻撃は4-4-2のお手本そのものでした。
4-4-2で分厚い攻撃を成り立たせるには例えば以下のような要素が必要だと思うのですが、

1. サイドバックの効果的な攻め上がり
2. サイドバックの空いたスペースのバランスを取れるボランチの存在
3. 4人のMFのダイナミックな連携
4. ポストプレー

これらが存分に発揮された内容だったと思います。

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1. サイドバックの効果的な攻め上がり

左の安田、右の内田ともに若くしてクラブチームでレギュラーを勝ち取っているサイドバックです。彼らの特徴はとにかくチャンスとあらば攻めあがる攻撃的な姿勢です。

サッカーはサイドの攻防をどちらが握るかが試合の優勢を決定付ける大きな要因となりえます。特にサイドの場合は守り勝つというよりは攻め勝つ姿勢が大切で、攻撃は最大の防御となる局地戦場です。

安田はパスミスも多かったですが、攻めあがり続けることが相手にプレッシャーを与えていましたし、内田は守備も安定していて抜群の出来です。

サイドは完全に日本が支配した試合でした。

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2. サイドバックの空いたスペースのバランスを取れるボランチの存在

青山が1人でよくカバーしていました。常にバランスを取りながら、特に安田のあがったスペースをカバーしていたと思います。

サイドバックが攻めあがるチームはボランチが生命線となります。いい加減なポジショニングをしていると一気にピンチとなってしまいますから。

後半にはミドルで得点も取り、存在感をアピールしました。

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3. 4人のMFのダイナミックな連携

これは2.とも関係するのですが、梅崎と田中の両方ともあがりすぎないようにバランスをとっていました。青山のコーチングもあったと思うのですが、中盤で相手をフリーにしないケアがよくできていたと思います。

また、青山自身もチャンスあらば攻め上がりを見せその間は田中が下がっているなど、よく連携が取れていたと思います。

柏木もディフェンスをさぼらずよく走っていました。

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4. ポストプレー

これは森島をほめるしかないでしょう。体をはってよくがんばっていました。こういうポストプレーヤーがチームにいるとゲームを落ち着かせることができ、中盤もディフェンスも非常に楽になります。

このまま成長して日本を代表するフォワードになってほしいです。

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また、チームとして前線からプレッシャーをかける意識が統一され、相手にフリーでロングボールを蹴らせる場面がほとんどありませんでした。

スコットランドはロングボール一辺倒のチームだったので、ボールの出所にある程度プレッシャーをかけておけばそこまで怖くない相手です。最終ラインで勝負するのではなく、フリーでボールを出させないことで、相手にチャンスをほとんど与えませんでした。

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将来が楽しみな選手も多く、また若さと元気が全面に出ていていチームですね。
ぜひとも決勝トーナメントに進出し、たくさん試合をこなすことでいい経験にしてもらいたいです。