サッカーは創造力
サッカーをモチーフに。 サッカーをメタファーに。
世界は同じことを言っている
YHEYです。

「サッカーは人生のようなものである」

オシムはたまに人生をメタファーにサッカーを語ります。これには、サッカーも人生も何が起こるかわからず、何が起こるかわからないからこそ結果だけを見ても意味はなく、プロセスに注目すべきという教訓が込められています。

もちろんプロサッカーは結果を追い求める必要もあります。
結果に一喜一憂するな、という方がオシムの教訓のニュアンスとしては正しいかもしれません。

**

ある一面では、サッカーも人生も同じと僕も思います。
それどころか、サッカーや人生だけでなく、世界は全く同じことを求めているのだと思うことがよくあります。

「自律的」
自分で立てた不文律に従って行動し、環境や状況、時とタイミングによって柔軟に動く人間が企業で求められています。

「撞着語法」
物理学者の江崎玲於奈先生は日経新聞の私の履歴書で以下のように述べています。

最も好ましい研究環境を一口でいえば、”組織化された混沌”とでも表現せねばならない。部分的に見れば研究者は自由奔放に仕事を進めているので混沌としているが、研究所全体としてはバランスがとれ、秩序がある状態をいう。 〜 中略 〜 撞着語法を知ってほしい。

相反する2つの意味を止揚する概念が求められています。

「個であり全体である」
要素還元主義ではなく、全ては個でありながら全体でもあるということ。個と全体は切り離して考えるべきではなく、同様に組織と個人も切り離して考えるべきではありません。

「自己組織化」
生物のように他からの制御なしに自分で組織や構造を作り出すことを言います。元々生物学や化学の分野の言葉だと思いますが、「自律的」と同じことを言っていると思いませんか?

「主客未分」
主体と客体を分けずに考えることを言います。ある事象を認識しているという自分を認識すること、つまりはメタの概念に似ていると思います。客観的要素と主観的な要素を区別せずに、必要なときに必要な実践的な行動を取ることがイノベーションへの鍵の1つだと野中郁次郎は述べています。

「ポリバレント」
必要に応じて柔軟に役割を変えてTPOを踏まえた行動を取ること。自己組織化、個であり全体である、をより実践的な意味で捉えた言葉だと思います。

**

上記は全て同じことを言っていると思いませんか?

企業でも、研究でも、生物でも、イノベーションでも、サッカーでも、そして人生でも。世界はフラクタルであり、だからこそ全てはメタファーになり、そこに関係が生まれます。

関係は物質よりも本質的である。


今日は僕の頭の中の整理のための備忘録になってしまいました。
得点とはすべてのプロセスの結果である
YHEYです。

スイス戦後のオシムの会見では非常に興味深い発言を聞くことができました。

**

「得点というのはあくまですべてのプロセスの結果であって、・・・」

高校の数学で、解答が誤っていても過程の式が正しかったり解答へのアプローチが正しかったりすれば部分点を8割くらいくれる先生がいました。先生曰く「解答よりもそれにたどり着くまでの過程が大事なのです」とのこと。

オシムとしてはこの試合に限って特別なことを実施した意識はないのだと思います。
アジアカップを含めて今までと同じことを実施してきて、今回はそのプロセスが目に見える結果となって現れただけである、とでも言いたいのではないでしょうか。

アプローチの正しさをまず追い求めるべきで、結果は正しさに付随して自然についてくる。

数学の先生が部分点に込めていた意味はこういうことだったのだと思います。

**

「サッカーは偶然について、いろいろ哲学的に考えることができる。すべての偶然も、自分たちがサポートすることによって、幸運を自分たちの方に引っ張ることができる」

数学の問題は静的ですが、サッカーは相手があるので相互作用が生まれます。
数学の問題を偶然解くことができるのは稀ですが、サッカーでは偶然得点が入ることがよくあります。

ここがサッカーの難しさだとオシムは言っているのだと思います。

ただ、クランボルツ的に考えれば「人生は予測できないことばかりだ。偶然を味方にするアプローチこそが複雑な現代社会における最も現実的なキャリアへのアプローチである」ということになります。

つまり、偶然を味方にする哲学は存在し、そのアプローチを科学してこそ勝利の確率を高めることができるのではないでしょうか。

クランボルツは偶然を味方にする「計画された偶発性」に必要な要素は以下だとしています。
・好奇心
・持続性
・楽観性
・柔軟性
・リスクテイキング

持続性、柔軟性、リスクテイキングなどはサッカーでも非常に重要なことであり、オシムサッカーのキーワードになりうるものばかりです。

持続性:1試合を通じて愚直に自分たちのサッカーを継続すること。
柔軟性:ポリバレントさを有し、相互作用の中で柔軟に役割を変動させること。
リスクテイキング:TPOを考えてリスクを冒して攻めに出ること。

**

最後に。
こんなことを言う数学の先生もいました。
「数学で1番大切なのは解である。どんなに過程が正しくても、解を誤って核爆弾が爆発したらどうする?ただし、正しい解を得るためには過程がなくてはならない。過程が大事なのは過程がないと解が求まらないからであり、最終的に最も大切なのは解である。」

プロセスと結果の捉え方については議論がつきないですね。
お前はどうしたい?
YHEYです。

Number686号に日経のスポーツ記者の武智さんが「強者への道」というコラムを寄稿しています。武智さんの書くコラムは内容が理路整然としていて納得感があるし、必ず最後には読者へのメッセージを打ち出して締めくくるので自分の中で落とし込みやすく、僕が信頼している記者です。

「強者への道」の中で武智さんはオシムについてこう語っています。

**

ある現象を指して、例えば「これは右に見えますね」と問うたとき、素直に「そうだな」と首肯されることはほとんどない。「左の可能性もあるだろう」と、この日本代表監督は答える。かといって、最初に「これは左に見えますね」と尋ねても「正解」にはならない。そのときはそのときで「いや、右の可能性もあるぞ」と答えるからである。 〜 中略 〜 この監督から反撃を食らう度に「お前は複眼でものを考えているか」と問われている気がするのである。

**

オシムは記者に質問されると「あなたはどう思っているのか」と問い直すときがよくあります。この天邪鬼っぷりがときに「マスコミ対応があまりに悪すぎる」と言われることもありますが、オシムが求めているのはマスコミの日本サッカーに対するコミットメントではないでしょうか。マスコミも発言に当事者意識を持て、お前の国のサッカーだろう、ということだと思います。

情報を右から左へ受け流すのではなく、自分なりに考え、自分でカスタマイズすることでそこに当事者意識が生まれます。言い換えれば、そこに責任が少なからず発生するということです。

**

質問に対して質問で返すというのは決して建設的とは言えないですし、僕も自分が質問者であれば多少はムッとすると思います。ただ、それがよいことである場合も多いのが事実です。

リクルートの執行役員の水谷さんは講演でこんなことをおっしゃっていました。

「僕の元に企画を持ってきて、「水谷さんどうですか?」と聞かれる。すると僕はこう答える。「お前はどうしたいんだ?」と。これははっきり言っておかしい。変でしょ?責任や決定権は僕にあるのに、「お前はどう思う?」って。ただ、考えさせることで当事者意識が生まれる。この当事者意識こそが企業を強くする。僕だって社長に話しをすると、「お前はどうしたいんだ?」と言われる。社長に決定権があるはずなのに。でもこのおかしさこそが競争力の向上につながっている」

**

責任の明確化は大事であるけれど、ときにそれが弊害となることもあります。グレーゾーンの対応は誰もやりたがらない。一二塁間のゴロは誰も拾わない。自分の役割にないことには手を出さない。組織図というものが明確に存在しているほど、実はこの弊害が生まれやすいのではないでしょうか。

これを回避する組織こそが実は強い組織であり、回避する方法が当事者意識の醸成なのだと思います。当事者意識を強くするには「がんばった人がバカを見る」というような風土ではあってはいけないですし、その他にも様々な難しさが存在しています。しかしその難解さの先には真の競争優位性が存在している気がしてなりません。

**

自らが考えることで当事者意識は生まれます。オシムはこんなことも言っていました。

「日本人は勤勉だと言うけれど私にはそうは見えない。明日生きているかどうかも分からないバルカンの人々の方がよほど勤勉である。日本人は、昔勤勉であった人たちが作り上げた土壌の上で考えることなしに生活をしている」

考えないから当事者意識が生まれない。当事者意識がないから無責任であり、しかも社会ではその無責任さがまかり通っている。

オシムの言葉には日本サッカーの土壌である日本社会に対する警鐘も含まれているのではないでしょうか。