最後は得意の内股をすかされての負けですから本人も少しは納得できたのかもしれません。
邪推ですが、井上康生が優勝しなくてホッとしているのは全日本柔道連盟かもしれません。
もし今回井上康生が優勝していたら、それこそ100キロ超級の北京五輪代表選考は混迷を極めたと思われます。
全日本で勝った井上康生なのか、それとも今期世界で実績を出している棟田や石井なのか。
協会が信念をもってどちらかにしても決めたとしても、マスコミや世論はおそらくどちらが代表になってもある程度は騒ぐことになったでしょう。
そう考えると、すでにある程度の実績がある石井が優勝したので代表は石井、という構図はとても分かりやすいです。
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柔道に限らず代表の選考を見ていると、人が人を評価するということの難しさがそこに凝縮しているように思えます。
アメリカの陸上選手の選考の中には、1発勝負でそこで優勝すれば代表という至極単純なものが採用されています。
分かりやすさでいえばこれ以上のものはないですが、果たしてそこで優勝した選手が本当の意味で(本当とは何なのかという疑問もありますが)強いのかという議論はあると思います。
では、過去の実績を考慮して選考というものが納得的になるかといえば、おそらくそうではないケースが生まれてしまうでしょう。
プロセス重視か結果重視か。その比重のかけかた。主観と客観のせめぎあい。
評価をしようとして頭が痛くなる管理職の悩みも分かる気がしてきます。
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では納得的な評価というものは存在し得ないのか。
決してそんなことはないと僕は思います。
ここに対する今の解のようなものは、やはりCriteria(基準)を明確化することなんだろうなと思っています。
分かりやすいものでいえば、たとえばマラソンの五輪選考で「世界陸上でメダルを獲って日本人最高」とかありますよね。あれです。
これは順位がつくスポーツであるため基準が作りやすい例ですが、ビジネスの世界の評価でもある程度の基準というかレベル感はきっと作成できるはずです。
その基準をもとにサイクルをまわして目線あわせして、基準もブラッシュアップしていく。
基準作りの難しさ、選考人数や資源の制約など問題はそれでも山積みですが、やはりこのやり方は僕の志向にあっている気もしますし、納得感もある気がします。
納得感や客観性、このあたりを大事にしていきたいものです。
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