今日は、オシムサッカーのキーワードとも言われているポリバレントについて記載したいと思います。
**
サッカーでは1試合に3人しか交代できませんので、選手交代による戦術変更はおのずと範囲が限られることになります。
例えばジーコはシステムを3-5-2から4-4-2に試合中に変更する場合は田中マコを下げて小笠原を投入するといったように選手交代によって実現させていました。これはこれで有効なのですが、例えばこの交代の後にディフェンダー(宮本か中澤)が怪我をしたらどうなるでしょうか。レギュラー格のディフェンダー3人のうち1人しかピッチにいないこととなり、戦力ダウンは避けられません。
**
オシムはサッカーを全体として捉えることを非常に重要視しています。うろ覚えですが、オシムと記者にやり取りでこんなことがありました。
記者「試合中に右サイドの加地の戻りが遅れる場面からピンチを招いたが?」
オシム「右サイドの遅れそのものに問題があるわけではない。遅れた分、ボランチがカバーに入らねばならず、そのボランチのスペースを埋めるために逆サイドの選手が余計に走らなければならない。そういった全体としてのバランスの崩壊が問題なのだ」
サッカーは局面で常に変化し続けるスポーツですが、局面の変化を局地戦として捉えることはオシムはしません。
この考えはつまり、全体として個、個として全体という自己組織化に他なりません。
**
マネジメントの話しでは、組織と個を同列に考えることが重要と思います。例えばある営業部の売り上げが低い問題点を探るときに、営業のAさんの売り上げが低いことを営業部全体の売り上げ低下と決め付けることはできません。全体として問題が出ているのに、それを個に集約するにはとても危険です。
組織は自己組織化しています。
10人いる組織を2分割したら、それぞれが新しい組織として機能します。これは所属している人間がそれぞれ新しい役割を認識しなおすためです。
脳内の視覚を司るニューロンが死亡しても、それまで例えば聴覚を司っていたニューロンが視覚の役割をし始めるということを文献で読んだことがあります。
ネットワーク形態をとっているものは大抵自己組織化されています。
**
逆に、階層化された組織図やプロジェクトの体制図というものは自己組織化されない傾向があります。体制図は責任と役割の明確化のために必要なものですが、明確化されてしまったばっかりに自分の範囲以外のことは実施しないという弊害も生まれます。
うまくいっている組織や体制は、裏組織図というものが存在したり、各人が責任を押し付けあったりせずに全体を捉え、局面で自己の役割を認識しなおしながら自律的に動いています。
**
オシムが考えるポリバレントの意味はここにあると思います。複数ポジションがこなせる、という表面的な意味も大切ですが、真の意味は局面に応じて自律的に役割をこなし、全体として個、個として全体のように動くことを意味していると僕は理解しています。これができれば試合中に選手を交代させてなくても自由にシステム変更が可能です。というよりも、システムという考え自体がないのかもしれません。
システムに固執せず、必要であればディフェンダーも攻めあがるし、フォワードも守りに入る。
ポリバレントを上記のように自律的な動きと捉えると、流動性を常に把握し全体としてのバランスを取る「水を運ぶ人」の重要性が浮かび上がってきます。オシムはいわゆるゲームメーカーを数人しか代表に呼ばず、鈴木啓太や阿部のような選手を好んで使用しています。ジーコ時代の代表選考に対して「水を運ぶ人が福西しかいなくて大丈夫なのか」と言っていましたが、オシムはまさに自身の確かな考えを代表選考に反映させています。
**
全体として個、個として全体。木を見て森も見る。面で捉え点を動かす。
オシムサッカーから学ぶことは多いですね。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
